子供たち、特に男の子たちというのはみなヒーローが大好きでした。
女子たちは男子の遊ぶのを不思議そうに見ていた。
この男子たちのヒーローへの思い入れというものがよく分からないのか、それとも自分らの領分ではないと考えていたのか、たいてい女子たちはいつもヒーローごっこを遠巻きにして見ていました。
世の中には悪いこと、許せないことがあります。
子供心にでさえ悪いやつらがいることは分かってた。
それは親であり教師であり、大人たちでもありました。
子供たちは嘘というものが大嫌いでした。
嘘つきとされればとたんににイジメられたものです。
「毛虫以下」なんて言い方もあったwww。
ところが、世の中の大人というのはなんと嘘の多いことだったか。
子供たちの世界はずっと正直で、大人の打算や計算など入り込む余地はなかったのでした。
男子はみなヒーローになり、刑事になり、戦隊になって、敵をやっつけた。
それは真似であり、手本でありシミュレーションしたのであり、戦う意味を理解しようとしたということでした。
とてもいい内省になったと思います。
そして戦うということは何か、どこまですべきか、そのパターンをよく学んだのです。
戦わなければ守れないものがあることも、ちゃんと男の子なら知っていたものです。
一方で、戦後のドサクサをいいことにして、子供たちに奇妙な言説を押し付け、平和教育などと威張り散らしている大人たちがいました。
決まって夏に涌いた。だからみんな夏休みのことだった。
クラスではこういう戦後の反省みたいなことはタブーでした。
教科書に書いてあるのに、わざわざあれこれと否定したり脚色しようとする教師がいて、彼は夏休みの頃に決まってそんな政治の話をしました。子供たちには触れるべきでないことに触れている奇妙さがひとしおでした。
彼らはいつも大威張りでしたが、そのくせ彼らは自分たちが子供の頃にどんな子供だったかまるで話そうとしないのですから、そのよこしまさは子供たちには丸分かりでした。
それこそ、わざわざ公演なんかをやりに学校に来た連中もいました。
授業がなくなったと子供は喜んだだけで、彼らには軽蔑しか感じません。
大人というものは子供を自分たち大人より劣っていると馬鹿にしているものです。
それは裏切りであり嘘だった。反抗期などと言うが、大人は常に子供を裏切ってきた。
そんなことはいつの時代の子供でもよく分かっていることでしょう。
どんな名目の式典にしても、退屈なだけではありません。
彼ら大人たちのエゴ、そこには自分らが偉ぶるための嘘がある。そのことを子供たちはよく知っていました。
繰り返される日本は悪かったという言説。
テキトーな、あくまでテキトウに形ばかりを取り繕っただけの式典です。
そんなのに巻き込まれることなったクラスメイトは哀れみしか感じられませんでした。
いいように踊らされるような子供というのは、そんな大人たちに巻き込まれ、やがて子供の世界からは孤立してゆきました。
こういうことは何かの目的で人を利用しようとするやり方であること、それを子供たちはよくわかっていたのです。
その反面、みんなが大好きなヒーローものには嘘がありませんでした。
そんなヒーローものを鼻で笑う大人たちを見て、子供たちは大人たちの欺瞞というものをよく理解できたのです。
やがて大きくなり、嘘の多い大人たちに染まっていった連中もいたでしょう。
正しく育たなかった子供はやはりダメな大人、そして惨めな老人にしかなれなのでしょうか。
今日は終戦記念日なんだとかw。
なんだか朝からネットがやかましいのはそれが理由でした。
次は自分の番だとばかり、戦時中、戦後も、何をしていたかわかりゃしない、何を言っていたかわからないような老人があちこちで出しゃばっています。
お金を上げれば、あることないことを話す老人というのはいます。それは昭和などそうでした。幽霊話の番組、体験談、みんな老人の嘘であることはわかっていた。
そうしてまるで何かの権利、順番でも回ってきたように、人に口をとがらかせ、あちこちでお説教ですか。
子供の頃は「ウゲエww」なんて、露骨にフザケる対象でしかありませんでした。
彼らはからかう対象でしかなかったものです。
いつも人につっかるようにして語る人々がいます。
敵意をむき出しにして、平和は大事だなんて曖昧なことを言うだけのくだらなさ。
目を剥く醜さはその心の表れにしか思えません。
そこからは平和という意味などまるで感じない。自分さえ良ければ平和などと、当時の子供たちですら信じませんでした。
そんな洗脳されてしまった子供がいたとしたら、今なら虐待されたのも同じ、いいところでしょう。
結局、どんなにそんな嘘をつこうが、大袈裟に語ってみせたとしても、決して取り返せない真実というものがあります。
それはヒーローたちが知っている真実。
最後に後悔しても反省しても嘘は嘘、やはりヒーローにやっつけられる。
嘘や虚飾の先には孤独しか感じられません。
子供の頃のことを思い出しても、こんな寄生虫のような人たちはいた。
気持ちの悪さしか感じられなかった老人たち。それは今もそうでしょう。
子供の頃、「よい老人」というのは決して威張らない老人でした。
子供らを尊重してくれる老人というのはいました。
我々子供がどうしたらヒーローになれるかを示唆してくれた人はいました。
そうやって子供の頃はみながヒーローになろうとしたのです。
しかし、その努力を止めてしまった人たちがいます。
彼らはその後ろめたさを隠そうと、大人になっても子供たちに威張り散らす。
そんなことはどんな子供でも分かっていたことです。
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