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予防注射

 子供の頃の予防注射はよく記憶にあることのひとつです。

 学校の講堂で並ばせられ、次々と注射を流れ作業式に打っていきました。

 学校とは別に、地域主催で学校や地域センターで受けた覚えもあります。

 私は数回やった記憶があります。




 今では信じられないことですが、昭和の時代はその注射器も使い回しでした。


 ちょっと消毒するぐらいで何回かは使い回していました。


 BCGなんてハンコの予防接種もありましたが、あれはコロナに有効だったのではないかなどと最近は言われています。

 しかし大人になってからするのはリスクがあるそうです。
 最近、成人に注射してしまい副作用が出たという事故があったようです。




 もちろん予防注射というのは小学校低学年のことです。

 注射がその日にあることは前から知らされていて、前の日に風呂に入って来いとか煩く言われていたものでした。

 そうして当日、大人しくひきたてられる子牛のようにして講堂までみんなが並びます。


 その講堂はすごく静か。
 子供たちみんなが押し黙っていて、安心させようとお医者さんが何かカン高い声で喋っているのがやたらと響きました。




 私の学校の場合、予防注射で泣く子供は周囲にも講堂でもどこにもいませんでした。


 そして、みんな、注射されるとなぜか照れくさいような顔をして教室に帰っていったものです。

 順番待ちをしている私の顔を見て、恥ずかしそうに教室に帰っていきました。

 照れ笑いのようなもの、あれはどうしてだったのか。


 本当は少し内心は怖がっていたものだから、たいしたことなくて安心して、そんな自分が照れくさかったのでしょうか。

 その後、歳をとって狂犬病ワクチンやマラリアなどの予防接種を経験しましたが、大人になってもみんな似たような顔をするものなのです。
 自治体の定期健診でもそんなところがあります。

 私は自分で色んな注射もしましたが、我が国ではみんなこんなことを面白がっているように思えます。平和なものだと思います。




 「痛くないじゃん」なんて、

 わざわざ声高に言う子はいました。



 注射が終わっても騒いでいるような子。

 そういう子は実はとても怖かった子です。



 まだ順番のきていない女子を「痛いよ」なんて脅かしてみたり、自分の注射の跡のバンソコウを見せたりする男子もいました。

 女子でこれを怖がる子はいませんでした。

 女子はみんな冷静なものでした。
 大人しくしていて、とてもマジメな顔をしていました。




 落ち着きのない教室の中、子供たちは予防注射の時間を大いに楽しんでいました。ポカポカと陽の当たるのどかな教室。

 いつも春ごろだった気がします。




 大らかな時代でした。



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ランドセル


 ランドセルという日本の小学生特有のグッズは、それはそれは色んなドラマを生みました。

 新しいランドセルを買ってもらったこと。

 ピカピカのランドセルのこと。

 兄弟からのお下がりのランドセルを貰ったこと。


 大事にしていたランドセルが壊れてしまったこと。

 つい邪険にしてしまい、それに気がついて一人でなぜか悲しくなってしまったこと。



 誰かにおもちゃの虫なんかを入れて、イタズラをしたこと。


 あれは誰々のランドセルだと、遠くからでもちゃんとわかったこと。


 私たちはこのランドセルというものをごく当たり前の自然なものとして認識していますが、欧米からすれば不思議で、驚きの文化です。



 ランドセルをしょって、子供たちが朝の街を駆け抜けてきます。

 昭和の昔はそのランドセルにゴムで定期券がくくりつけられていました。

 お守りがゆれていました。

 「ランドセルを持った?」「支度をした?」ランドセルは学校という場所へゆくための切符でもありました。



 ランドセルは教科書やノートが整然と収納できました。

 筆箱には筆箱の場所、ノートにはノートの、定規には定規の場所があって、それがぴったりと収まりました。

 どう色んな雑多なものを収納し、支度すればよいのか、子供たちにはランドセルが分かりやすく教えてくれました。


 物事は、それぞれが収まるところに収めなくてはならない、そういうことがランドセルによって教えられたのだと言えます。

 そのような教材としての効果もランドセルにはありました。



 今、私たちは大人になってごく普通にケースや収納や引き出し、色んなものを適切な場所に収めることをしています。

 しかし、なんでも放り投げておき、すぐに取り出せるからとしているような、そんな海外の文化もあります。
 片付けておかない人、そんな人もいます。


 そしていざという時には見当たらず、使う時間より探す時間が多かったりする。


 携帯やスマホ、デジカメ、MP3、眼鏡、クレカ、鍵、USB、、、。

 私たちは今もなぜケースや収納にこだわるのか。


 それはその使う道具、世話になるものへの愛着があるからです。


 子供にはまだ道具への愛着がわかりません。
 すべてが初めての持ち物。経験です。

 教材もノートも「道具」です。


 ランドセルはまず、その収納機能を最初に見せることで、道具というものとの付き合い方を教えてくれました。


 子供たちにランドセルの収納を通じて、道具というものを教えてくれる効果があったのだと思います。






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