これはゲームの一種です。
体育館や校庭で、授業中に教師が子供たちにゲームをさせることがありました。
「ハンカチ落とし」というのは、そんなゲームのひとつでした。
野外学習や遠足の時、そんな時にやられることもありました。
教師が号令をかけてゲームを教えます。まずゲームのルールとやり方を教え、子供たちにやらせたのです。
それは授業の一環でした。
子供らが自発的にこうしたゲームを思いつくことはありません。
あくまで遊びではなくてゲームでした。
「伝言ゲーム」というのもそんなもののひとつです。
教育的に役立つという理屈があり、指導カリキュラムにあったからです。
子供たちの遊びというものは、学校から教えられるゲームとは違うものでした。
子供たちの「遊び」とは、子供同士で伝わるメンコ遊びや追いかけっこ、陣取りゲーム、そんなものでした。
他にも子供たちがそれぞれの地元や近所での遊びを学校に持ち込んだものもありました。
ただ、ほとんどのゲーム的なことはみな教師が教え、指導してやらせたものです。
輪になって輪の内側を向いて座った外側を一人がハンカチを持って一周する。
その時にハンカチを誰かの背後に落とします。
それを気がついて捕まえたりオニが交代するというゲームです。
今の子供たちの学校では、まずやられていることはないと思います。
ちょっと前に問題となった組体操や人間ピラミッドのような危険なことも、指導カリキュラムに教師が盲目的に従っているというだけのことです。
ハンカチを誰が落とされたかその子以外は大体分かるのですから、表情を読んだりして気付くことができます。
立ち上がったすぐに落としてフェイントをかけることもできるでしょう。
落とされてもいない子供がそんなフリをすることも面白いかも知れません。
ちょっと考えても、本来なら色々考えることのできる遊びだったはずですが、あまり授業で繰り返しやられることはありませんでした。
もちろん、子供たちの間でこのゲームが普及し、休み時間に積極的にやられるということはありませんでした。
教師たちはカリキュラムに沿ってやっているという感じを隠さず、子供らが楽しむようになると放り出してしまいます。
授業でやられることはなく、後は自分らでやればいいというわけです。
しかし、休み時間というのは子供たちにはまた別な意味がありましたから、授業でやられることがなければわざわざ「ハンカチ落とし」など追求することはなかったのです。
それに、ハンカチ落としというゲームは男の子、女の子の間での「好き嫌い」という感情とすぐに結びつきました。
そういうものが露骨に出てしまうものは、やはり授業でもなければ誰もやろうとはしなかったのです。
その上、子供たちは大人のアザとさを嫌いました。
教師側から持ちかけられるものはそうしたアザとさ、魂胆のあるものに感じられました。
学校はクラスメートがいる楽しいところであっても、教師の疑わしさというのはよく感じていたのです。
こんなハンカチ落としを自発的にやろうなどと言い出せば、子供と言えども仲間内で鼻で笑われたに違いありません。
「授業で教えられた」と、昔の子供たちが家族に話すことはあまりありませんでした。
せいぜいテストの成績が話題になるぐらいだったのです。
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