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お祭り


 「祭り」なんて、このコロナ感染拡大の今となっては、ちょっとできるかどうか分かりません。

 感染者は拡大し、このままでは帰省することもどうなるか。



 昭和の時代の「お祭り」というのはちょっと最近のものとは違ったものでした。

 今はなんでも商売やお金儲けになってしまっていますし、観光客さえ呼べるとムダに力が入っています。
 それはイベントのようなもの、出し物になっている気がします。

 見物客に向けただけの「お祭り」という感じがします。



 昭和の時代はまだ儀式、神事ということが第一にありました。


 そういう伝統を粛々と守る人たちがいて、お祭りを挙行する大人や古老たちというのがいました。
 そしてそれを取り巻くように子供たちや若者が関わったものです。


 祭りを見に訪れる人々も、そんな伝統ある神事に触れるためお祓いに来るようなものでした。

 お祭りを見物に来る人とお祭りを取り仕切る人たちが相互に支えあっていたものです。


 子供たちには祭りというのは別な世界のものに思えました。

 なにしろいつもとは違う賑わいです。それがワクワクとさせました。

 そして夜という普段は近づかない時間。

 少し怖いような、もっと近づいて見てみたいような色々な儀式、威勢のよいお神輿。




 子供はお祭りではお客さんのように扱われます。

 どこでも「こっちにおいで」と歓迎されます。

 子供たちはみな、自分たちは特別なのだという感じを感じたものです。


 そしてお神輿を担がせてもらったり、山車を引いたりもします。山車を引くとご褒美だとお菓子を貰います。

 子供たちは自分たちが何かしらの役割に使われているというのは分かりました。

 それは穢れのないという役割。

 ズルいこと悪いことをしてはいけない、そんな心は子供たちに伝わりました。


 子供たちはお祭りというものを珍しさの中で眺めつつ、神事に触れたのです。



 子供たちの中には、お祭りに関わりを持った子もいました。

 笛を吹いていたり踊っていたりして普段の顔とは違う顔を見せていた。


 それを見に行ったりもしましたが、からかうなんてことはありませんでした。


 むしろ、なんだか友達の中に芸能人が出たような感覚で誇らしいものがありました。



 収穫の豊作豊漁や世代安寧、太平祈願。

 お祭りには様々なみんなの、地域の願いがこめられていたのが分かった。


 そうしてそんな神聖な部分を感じながら、縁日や浴衣、夜のボンボリ、人ごみの賑わいなどを通じて、お祭りというものを楽しんだのでした。




 特別な賑わいの思い出です。

 いつも遠くの景色のように、淡い思い出。

 それはもう故郷から遠く離れてしまったからなのか、もう新鮮な驚きで祭りを見れなくなってしまった大人だからなのか。

 お祭りを見た記憶を振り返ると、いつも淡い色がします。


 そして、そのお祭りの真ん中より、どちらかというとお祭りの少し端っこにいたというのが、むしろ心地よい思い出となっています。

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夏休み

いよいよ待ちに待った夏休みが近づいてきました。

 コロナ感染拡大もあり、勉強も遅れています。

 今の子供たちはそれどころではないんでしょうけれども。




 昔は、夏休みがやってくるのを子供たちはワクワクして待ち望んだものです。

 しかし、それは決して学校に行かなくていいからではありませんでした。

 夏休みというのは時間割がなかったからです。



 「勉強というのは嫌なもの」そういうこともあまりありませんでした。

 マンガやコメディの世界にには「勉強が嫌い」という子供たちはいます。

 しかし現実の世界、昭和の子供たちはみな勉強が大好きでした。



 ただ、時間割のあの退屈な雰囲気がみんなは嫌だったのです。

 だから喋ったり笑ったり、授業でおもしろがらせてくれる教師は子供たちに人気がありました。


 子供たちは発表なんかがあればみんなで熱心に調べものをしましたし、テストやドリルなどを熱心にやりました。

 勉強が分からない、できないので嫌になってしまう。

 そんな子供は多少はいたかも知れません。でもそれは結局、教え方が悪いということにに尽きます。



 勉強が嫌いという子供たちがいたなら、通信簿の成績で一喜一憂するはずがありません。

 テストの成績に喜んだりするはずがありません。


 子供たちは教師たちのダレた教え方、不貞腐れた態度、そんな教師の態度が嫌だったというだけです。

 嫌ったらしい言い草、子供の気持ちなど考えない横暴、理屈のなさ、子供たちには大人たちの汚らしさが嫌だったのです。


 だから、子供たちが夏休みを待ち望んだのは、そうした時間割から開放されるからなのでした。


 夏休みになっても子供たちは学校には通うのが普通のことでした。

 夏休みに旅行に行くとかどこかに遊びに行くとか、それはそれぞれの家庭の事情はあったでしょうが、それを学校の間中から楽しみにしていた子供はほとんどいませんでした。

 友達がいて、夏休みの時間割のない学校のプールで、みんなの顔に囲まれる以上の楽しみはなかったのです。


 夏休みはプールが開放され、毎日のように学校のプールに通いました。

 ラジオ体操がありハンコをもらいに学校に行く、そんなことも行われたりしました。


 そして担任の教師などがほとんどいない教室に行けば、みんなで話をしたり遊ぶことが出来ました。


 時間割から解放され自由にできるから、子供たちみなが夏休みを楽しみにしていたのです。


 親や大人たちというのはこれを誤解するのが常でした。

 帰省したり、どこかに旅行したり、夏休みは子供たちを必ずどこかに連れて行かねばならないと思い込んでいたのです。


 彼らが大人になり親となっても、やはりそういう同じ誤解を持っているのは不思議なことです。


 実は子供たちにとっては学校こそが一番の楽しいところ、一番の遊び場だったのですから。



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