いよいよ待ちに待った夏休みが近づいてきました。
コロナ感染拡大もあり、勉強も遅れています。
今の子供たちはそれどころではないんでしょうけれども。
昔は、夏休みがやってくるのを子供たちはワクワクして待ち望んだものです。
しかし、それは決して学校に行かなくていいからではありませんでした。
夏休みというのは時間割がなかったからです。
「勉強というのは嫌なもの」そういうこともあまりありませんでした。
マンガやコメディの世界にには「勉強が嫌い」という子供たちはいます。
しかし現実の世界、昭和の子供たちはみな勉強が大好きでした。
ただ、時間割のあの退屈な雰囲気がみんなは嫌だったのです。
だから喋ったり笑ったり、授業でおもしろがらせてくれる教師は子供たちに人気がありました。
子供たちは発表なんかがあればみんなで熱心に調べものをしましたし、テストやドリルなどを熱心にやりました。
勉強が分からない、できないので嫌になってしまう。
そんな子供は多少はいたかも知れません。でもそれは結局、教え方が悪いということにに尽きます。
勉強が嫌いという子供たちがいたなら、通信簿の成績で一喜一憂するはずがありません。
テストの成績に喜んだりするはずがありません。
子供たちは教師たちのダレた教え方、不貞腐れた態度、そんな教師の態度が嫌だったというだけです。
嫌ったらしい言い草、子供の気持ちなど考えない横暴、理屈のなさ、子供たちには大人たちの汚らしさが嫌だったのです。
だから、子供たちが夏休みを待ち望んだのは、そうした時間割から開放されるからなのでした。
夏休みになっても子供たちは学校には通うのが普通のことでした。
夏休みに旅行に行くとかどこかに遊びに行くとか、それはそれぞれの家庭の事情はあったでしょうが、それを学校の間中から楽しみにしていた子供はほとんどいませんでした。
友達がいて、夏休みの時間割のない学校のプールで、みんなの顔に囲まれる以上の楽しみはなかったのです。
夏休みはプールが開放され、毎日のように学校のプールに通いました。
ラジオ体操がありハンコをもらいに学校に行く、そんなことも行われたりしました。
そして担任の教師などがほとんどいない教室に行けば、みんなで話をしたり遊ぶことが出来ました。
時間割から解放され自由にできるから、子供たちみなが夏休みを楽しみにしていたのです。
親や大人たちというのはこれを誤解するのが常でした。
帰省したり、どこかに旅行したり、夏休みは子供たちを必ずどこかに連れて行かねばならないと思い込んでいたのです。
彼らが大人になり親となっても、やはりそういう同じ誤解を持っているのは不思議なことです。
実は子供たちにとっては学校こそが一番の楽しいところ、一番の遊び場だったのですから。
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