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「早生まれ」と「遅生まれ」


 満年齢に応じて入学するのが学校という制度ですが、一年を4月を起点とすれば最大で一年弱の差が開きます。


 同じ学年と言っても、ほぼ一年ぐらいの差があることになります。

 本来ならまだ小さいのに、最大で11ヶ月、早く生まれた子供との差がでることになります。

 数のバラつきによっては、大きな子供たちに混じって小さな子が同じ学年に編入させられることになります。

 制度としては生まれた月で区分しているのですから、どうしてもそういうことになります。


 気の効いたことをするなら、学年を選択をさせたりするのでしょうが、教育制度は今も昔も杓子定規なものです。

 寺子屋の時代から「学ぶ」というのは、子供たちが自発的にやらねば必ず遅れてしまうものでした。

 そういう自発性をくじく要素のひとつが、こうした杓子定規さであり、不利があったりすることに目をつぶり理解しようとしない教師の態度であったと思います。


 だから、制度に押し込められたということを子供たちは理解していましたし、子供たちの口からはよく「早生まれ」と「遅生まれ」という言葉が出たものです。
 



 教師はこういうことを知りながら、画一的なレベルというものを求めました。

 カラダの大きさにしても体力にしても、横一列というものを求めたのです。


 結果として小さな子に同じ量の給食を平らげるよう強制して居残らせたり、運動の序列を平然とつけ、同じ学年というものを強制したのでした。



 今なら子供というものの成長が早いものだということが分かっています。

 今、当時のような指導をしていればとたんに問題になるでしょう。

 しかし昔は、教師の怠慢と杓子定規な基準というのが問題とされず、通用していた時代でした。




 遅生まれの子供にしても、小さい子に混じっているのですから、まるで知恵遅れのようなものです。

 実際、勉強は遅生まれの子供は遅れがちだった覚えがあります。



 「早生まれ」と「遅生まれ」の子供のそれぞれが、色々と苦労したというのは今でもよく聞く昔の話として聞く話しです。

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人さらい


 今はあまり聞かれない言葉だが、「人さらい」ということが昭和の時代はよく言われた。

 「知らない人についていってはいけない」と、クチを酸っぱくするようにして親や教師、大人から言われたものだ。


 人がさらわれて、カネを要求される。
 そんな「誘拐事件」として、有名とはならなかった未遂も含め、実際に多くの事件が起きた。



 代表的な誘拐事件としては、吉展(よしのぶ)ちゃん事件というものがあった。

 台東区の下町で子供が誘拐され、身代金を要求された事件であった。


 まだ誘拐が割に合わない犯罪と認知されていなかったからか、子供を誘拐して身代金を要求する事件は、かなりの件数があったはずだ。


 まだ豊かな子供がそれほどいない時代、それでも格差は育ちつつあった。

 社会から外れ、戻れなくなった連中。そして高度成長と共に馬鹿ではなくなった犯人像というものが浮かぶ。


 借金や食い詰めた人間が、比較的自由になる小さな子供を誘拐して身代金を要求するという事件だった。

 しかしやむにやまれずやった割にはその受け渡しの手順も決まっておらず、常に犯人らは後手に回った。

 そして世論は子供を標的にするという卑怯さを非難し、厳罰が要求された。

 我が国では卑怯者の肩身は狭い。


 この誘拐事件に関しては警察の活躍の余地が大いにあった分野だったろう。




 その後、時代と共に狙われるのは青年や、むしろ成人と、誘拐からむしろ拉致監禁へと変わってゆき、被害者が死亡することで迎える悲劇的な結末は、単なる殺人へと変わってゆく。

 考えてみれば昭和の誘拐事件は、誘拐に失敗した犯人や誘拐を成功させようとした犯人が殺人を犯すことで結末を迎えた。

 これに対して、その後の誘拐殺人事件は怨恨や残虐な計画性が中心となっていった。


 
 この点では警察官僚の功績は大きい。

 世界を見れば、まだ身代金目的の誘拐が行われているという国もある。

 日本ではその余地がほとんどなくなったという印象になっていることは、彼ら警察官僚の働きの結果として評価してよいことだと思う。

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