満年齢に応じて入学するのが学校という制度ですが、一年を4月を起点とすれば最大で一年弱の差が開きます。
同じ学年と言っても、ほぼ一年ぐらいの差があることになります。
本来ならまだ小さいのに、最大で11ヶ月、早く生まれた子供との差がでることになります。
数のバラつきによっては、大きな子供たちに混じって小さな子が同じ学年に編入させられることになります。
制度としては生まれた月で区分しているのですから、どうしてもそういうことになります。
気の効いたことをするなら、学年を選択をさせたりするのでしょうが、教育制度は今も昔も杓子定規なものです。
寺子屋の時代から「学ぶ」というのは、子供たちが自発的にやらねば必ず遅れてしまうものでした。
そういう自発性をくじく要素のひとつが、こうした杓子定規さであり、不利があったりすることに目をつぶり理解しようとしない教師の態度であったと思います。
だから、制度に押し込められたということを子供たちは理解していましたし、子供たちの口からはよく「早生まれ」と「遅生まれ」という言葉が出たものです。
教師はこういうことを知りながら、画一的なレベルというものを求めました。
カラダの大きさにしても体力にしても、横一列というものを求めたのです。
結果として小さな子に同じ量の給食を平らげるよう強制して居残らせたり、運動の序列を平然とつけ、同じ学年というものを強制したのでした。
今なら子供というものの成長が早いものだということが分かっています。
今、当時のような指導をしていればとたんに問題になるでしょう。
しかし昔は、教師の怠慢と杓子定規な基準というのが問題とされず、通用していた時代でした。
遅生まれの子供にしても、小さい子に混じっているのですから、まるで知恵遅れのようなものです。
実際、勉強は遅生まれの子供は遅れがちだった覚えがあります。
「早生まれ」と「遅生まれ」の子供のそれぞれが、色々と苦労したというのは今でもよく聞く昔の話として聞く話しです。
[0回]
PR