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光化学スモッグ

昭和の高度成長期には各地で公害が発生しました。

 「光化学スモッグ」というものもそのひとつでした。


 主に都会、交通量の多い、自動車からの排気ガスが溜まりやすいところで、亜硫酸ガスなど有害なガスの濃度が多くなり、喉の痛みや目の痛みを訴える子供がでると言う事態が起きました。

 それが川崎病であったり、光化学スモッグというものでした。


 昭和の時代には学校へこの発生が通知されたりして、子供たちは健康のために学校を早めに切り上げるというようなことをしています。

 当初、この問題への対策はただ「逃げる」ということでしかなかったように思います。



 やがて公害対策への必要の高まりとともにこの問題はクローズアップされ、自動車の排気ガス規制などもされるようになってゆきます。

 日本は公害問題をなんとか乗り越えてゆきます。

 今、「ばい煙」とか「スモッグ」と言われてもピンとこない人たちがほとんどでしょう。

 それだけの過程を経て現在に至っているということです。


 それまでに日本の学校は、公害のために授業を中止ということが頻繁にあったのでした。

 光化学スモッグ注意報、警報、都会の学校ではそんな警報が度々され、授業が早めに切り上げられるなどの対策が取られました。




 もちろん、その前から日本にはもっと苛烈な公害が発生し、水俣病やヘドロ、六価クロム汚染、それこそ日本は一時は公害大国でもあったのでした。

 この「公害問題」というのは、当時、学校が生徒に教える一番の大きなことだったかも知れません。

 私たち子供は水俣病のグロ画像やニュース映像を繰り返し見せられ、そうした公共心を養っていたのだと思います。


 だから、それだけに今、同じ世代で「コロナを拡散させてやる」などという人々がいることには驚きを禁じえません。

 彼らの育ちはどうだったのか、と。



 そうした教育を通じてなんとか社会全体でこの公害という問題を共有させよう、継続的に対応してゆこう、そのような教育の意図があったことが分かります。

 そのような教育を経て、多くの人々が環境へ配慮できるという、今のリタラシーを身につけることができたのかも知れません。


 だから、レジ袋が有料になることで文句を言う人々に、この世代が少なからず含まれていることには驚かざるを得ません。





 ともかく、そうしてこれらに対処し、経済的繁栄と環境の共存を進めてきたという今の日本の成功があるのです。


 我々は、今なら中国の殺人的なPM2.5のことや無策の話を聞くと、よくクニを逃げ出さないものだと思ってしまいますが、彼らもまた国や自治体が対策を打つことを信じているのでしょう。


 その教育も意識もどうかは分かりません。

 この先、中国政府がどうなるかも分からないことではありますが。


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初潮

女生徒の中には早くも小学生から初潮を迎えてしまう子がいました。

 それは、多分にイレギュラーなことだったのだと思います。

 突然に先生がドタバタと走り回って隣のクラスの教室に駆け込んでいきました。


 隣の担任が深刻な顔をして女の子をおぶって保健室へと運んで行きます。

 保健室へ連れて行かれる、だから心配はないだろう。
 不思議と子供たちには保健室というものへの信頼というものがありました。




 体操服を着ていましたから、体育の時間だったのでしょう。

 何事かと思った我々が廊下を覗くと、男子も含めてみんなその子が連れて行かれるのを見守っていました。

 おぶさられた女子はうつむいて、じっとしていました。
 体育の授業中だったようでした。


 その女の子は教師におぶさっていたのですが、お尻のブルマーのあたりからくるぶしの当たりまで真っ赤な血が垂れていました。


 男子たちはそれを見て動揺し、何か深刻な事故でもあったのではないかと噂し合ったものでした。

 それが女の子の初潮であることを知ったのは後になってからのことです。



 中学生ぐらいになると親もそろそろだと気をつけますから、学校で不意にというケースは珍しいものだと思います。
 親たちが体調の変化などを見て、赤飯を炊くタイミングは逃さないものです(笑)。

 女性がいよいよ子供から女性へと花開く準備ができたということです。


 ところが、予期せぬタイミングで初潮が来てしまう子はいました。
 やはり体育のような体を動かしていた時が多かったようです。


 突然の初潮を迎えた女子が教師におぶさって保健室へ運ばれるたのでした。


 あまりないことだったに違いありません。
 私もそんな出来事を見たのはひとりだけでした。



 しかし女子たちに関しては、なぜかこういうことをみんなが知っていたようで、事故みたいだと騒ぐ男子をたしなめるような子さえいたものです。

 「男子は子供だなぁ」確かそんなことを言った子もいました。
 そして女子たちはそんな男子に説明をするようなこともありませんでした。


 男子たちは訳が分からず、女子の血が出るというメカニズムも分かりません。実際、子供ですから、分の体以外のことを考える想像力もあまり働きませんでした。

 冷静な女子とどよめく男子という感じで、まるで対照的でした。


 担任の教師というのも慣れておらず、やはり男子と同じようにうろたえていたものです。


 こういう時、あの時の女子は、少しどこか恥ずかしそうな顔をしていた気がします。

 それは実際に「生理痛」ということが定期的にやってくるようになる中学や高校という年齢になっても恥ずかしそうにされたものでした。

 「生理」というのは、子供を産むということと大いに関係があります。
 子供の頃はただの出血でも、大人になるにしたがって生理が重くなってゆく人もいます。

 女性にとっての定めではありますが、重い人もいますし軽いひともいます。きっと生理痛が重いという人は「子供を生め」という遺伝子の声があるのかも知れません。

 そんな女性はきっと残すべき遺伝子がある女性なのかも知れません。



 それにしても、こういうことへの周囲の対応というのは、昭和の頃と今では違うものがある気がします。

 今なら恥ずかしそうに「生理」ということをクチにする女性はいないと思います。
 周囲も聞かないフリや気付かないフリをするということはありません。



 「生理」というのは、古くなった卵子を生理によって排出し、次の卵子を育てまた子供を埋める状態へとカラダを回復させるものです。
 ごく自然な人間のカラダの働きです。


 しかしそれは、そろそろ子供を生める年齢であるという肉体のサインでもあります。

 そうなれば相手をみつけ、結婚をするというのが昔の日本のならわしでした。

 昭和の頃はまだそんな名残りが残っていたため、生理とくれば結婚や出産、性交渉ということにに結びつくものとされたのでしょうか。
 だから、世間的にはちょっと恥ずかしいことと認識されていたのだと思います。


 一方、これに対して家庭の中では初潮というものは喜ばしいものでした。

 子供が女性になって子孫を残すことになる。
 そのサインが無事にやってきたことになるからです。


 そういう意味では、外と内が違っていたというのが昔の姿だったのです。
 今はあまり内と外の区別がついているようには思えません。

 家庭内で「そういう言い方はいけないんだよ」なんて、言葉狩りさえあるようですから。


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