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じゃんけん


 「じゃんけん」に関西と関東、地方によって違いがあったすると知ったのはずっと後のことです。

 「じゃいけん」と「じゃんけん」ジャンケンの名前も違うようです。


 そしてその掛け声も様々です。


 「じゃああーーーん、けーーーん、ぽいっ」

 「最初はグー、じゃんけんぽい!」

 「後だしなしよ、じゃんけんぽい」
 

 「軍艦、軍艦、朝鮮。朝鮮、朝鮮、沈没」なんて言い方もありました。

 

 不思議と教師たちは「じゃんけん」を無視していました。



 何か順番を決めたりする時、「みんなで決めなさい」というようなことを教師はよく言いました。

 当番とか順番とか、代表とか。



 すると子供たちはじゃんけんで決めたりします。

 教師はそれを見ているだけ。

 しかしどうやって決めるかには関わろうとしませんでした。

 それは子供たちに決め方を任せているという感じにも思えませんでした。

 そして教師は、一度も「じゃんけん」という言葉を使ったという覚えがありません。



 これはとても不思議な気がしたものです。

 子供たちの間で通用しているものは学校は採用できなかったということでしょうか。



 他に「ゴム跳び」なんてものもそうでした。教師たちはその存在を無視している感じでした。

 女子がゴム跳びをしていて転び、すりむいたりすると保健室へ連れて行きます。

 跡が残って女子が傷モノになれば責任問題になることもあります。


 その事情を説明する時、教師は「校庭で遊んでいて。。。」なんて話しているのでした。


 つまり「ゴム跳び」という言葉もないことになっていた。


 同じように、「じゃんけん」という言葉を教師が使うことはありませんでした。

 教師がじゃんけんに加わったという記憶はありません。



 教科書に載っていない言葉だから触れるのを避けたのか、教育として公式のものではないからとか、事情は分かりません。




 「事なかれ主義」という言葉がありました。

 当時の教師の問題として言われたことを思い出します。

 トラブルをとにかく避け、決められたことしかできない。


 高度成長の中に飛び込まず、教師などでだらしなく日々を送っているような怠け者、そんな風に当時の教師は思われていたものです。


 その後の教育の現場の問題が噴出するまでには、そんな教師たちの態度が積み重なっていったのかも知れません。



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謝恩会

そんなものがあったことに、今更ながら驚きます。

 まあ、内申書とかそういうものに関係がなかった子供たちは分からなかったのでしょう。

 

 ともかく、「謝恩会」というのが小学校を卒業して暫くするとすぐに開かれたそうです。


 参加はしませんでしたが、話を聞くと、結局それは言葉のように教師への感謝を振り返るようなものではなくて、実は単なる同窓会だったとか。

 「謝恩会」などという名前はただの方便だったということでした。


 確かに「同窓会」というのは、ずっと歳をとってからやるものです。

 ヒゲが生え、子供がいたりして、懐かしい時代を振り返るというのが同窓会です。

 人生は短いのですからw。



 だから、まだ小学校を出たばかりで、卒業してわずかしか時間が経っていない中学二年や一年なんかで振り返ろうとするなんて違和感がありました。

 だから私は参加しませんでした。


 ところがその趣旨は本当は違うものだったようです。



 卒業していった友達らが今何をしているか、どうしているか。

 近況を報告し合い、お互いにまだ慣れない中学校生活に立ち向かうためのいわば情報交換会。


 そしてあいつは今何をしているかと様子を伺うということ。



 しかしそういう本音はあまりにも露骨だったのでしょう。

 だから、わざわざ、謝恩会などと言って昔の恩師に感謝しようという集まりとしたのでしょう。

 酒もないのにw。



 子供たちの世界にも「政治」というのはあったのです。

 そういう連中がやがて社会に出て、この国に巣食った。


 自分以外の3割の働き蟻を働かせるために。

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