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ケンケンパ

振り返ると懐かしい言葉。

「ケンケンパ」って、もう忘れてしまったでしょうか。


 この遊びを今の子供たちもまだ知っているんでしょうか。

 どの路地にもその遊びの跡が残っていました。

 

 コンクリートの道路だったら白いチョーク、ロウセキなんかで描かれていた跡。

 四角や丸、三角の模様が描かれていて、子供たちが遊んだ跡だというのが分かりました。

 あの四角や丸は脚をどう揃えるかが指示されたもの。

 丸かったら両足を揃えて着地、三角なら片足で、四角はひとつずつ脚を入れて同時に着地、なんて。


 色々とルールは変えて、子供たちがリズムに乗ってケンケンパ。

 子供の運動によいと今はこんなものまで売られています。




 私は少し大人になって、再びこんな跡を見ました。

 いつもその路地には誰もいなかったりして、とても静かでした。

 通りかかるといつも誰もいませんでした。

 家々には明かりがともり始める夕暮れの時間。


 きっと私は子供時代をもう過ぎてしまったのだな、そう思いました。


 夕方になれば子供たちは家に帰ってしまいます。

 私がそこを通りかかるのはいつもそんな時間だったから。


 誰もいなくなった路地のケンケンパの跡を見て、私にもう子供ではないことを教えてくれました。

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誕生会


 なんの流行だったのか、そのキッカケは思い出せないが、「誕生会」というものをよくやった時期があった。

 やはり小学校低学年の頃だった。


 誕生会で友達の家へ行った。

 互いににプレゼントを持ち寄って訪問し、親が料理を振舞ってくれる。

 そしてケーキを食べる。


 料理はカレーとか、おでんなんかを出してくれた家もあった。
 手巻き寿司なんかの家もあった。


 女子の場合、お洒落な格好ができるのを楽しみにした。
 その日は自分が主役になるのだ。それをみんな尊重して祝った。


 男子にとっては知らない場所に行って遊ぶというのが何よりの楽しみだった。

 もともと隣近所の子供同士で誕生会をやるという話は出なかった。


 いつも下校がひとりだったり、遠方から通ってきている子供で、誰も家を知らないような子供の家で誕生会に集まるというのが趣旨だった。

 


 そうして出かけてゆき、お開きの時間までその友達の家で遊んだり、知らない場所の近所の公園で遊んだりした。


 もともとそういう遠方に住む友人の家にわざわざ行くことはしない。

 だから、彼らが疎外された思いにならないためにもいい機会だったかも知れない。


 それに、男子が女子の家などに行くということはなかった。
 異性を最初に理解するよい機会にもなったと思う。


 同じクラスで、特に親しい子供たち同士が企画し、誘い合った。

 前回に誕生会に呼ばれたからお返し、そういう感覚もあった。


 わざわざ行きたくないとか、家を見られたくないとか、家庭に受け容れる用意がない、そんな子供は、都合がつかないとか習い事があることを上手に言い訳にして避けた。

 ああいう「断り方」というのが学べたこともよかったことだと思う。
 


 そのうち、プレゼントや衣装なんか、派手になってきて、学校から誕生会は控えるようにというお達しがあった。

 それでやらなくなってしまった。


 その代わり、予算を限定したりして学校で誕生会、プレゼント交換をやるようになった。

 趣旨は違うようになったが、目立たない子供、誰も友人がいないような子供が出ないようみなが気を遣うところがあった。



 まだ人との距離感というのがつかめない子供たちは、なんとなく他人という存在を知っていく途中だった。

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