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お受験


 バカで、劣等感の塊のような親が、子供たちを追い込んだ。

 昭和の時代にはそんな親の暴走がよくあったものだ。


 そこそこの暮らしをしているというのに、子供に健全な育ちをさせようとはせず、なぜか上昇志向に目覚め、狂ったように子供たちを受験へと駆り立てた親たちがいた。

 昭和の時代はそんな受験戦争という熱狂が言われた時代でもある。


 中学受験どころか小学校の受験というのもあった。




 しかし当の親たちは、実は受験の本質など何も理解していなかった。

 
 今ではどうだか知らないが、受験というのは実は勉強の出来不出来だけではない。

 つめこみ教育だの受験戦争だのと言ってもそれは建前に過ぎない。

 実は結果とはあまり関係がない。


 日本の学校では教師からの内申書というものがモノを言った。


 よい環境で育てようなどと、学習院などの名門校をそこらの公務員の子息が受験しても受かるはずはない。

 どんなによい成績を上げていたとしても、受験に通ることと点数はまるで関係がないのだ。


 お受験では親がむしろ見られた。

 親がそれに気が付かないケースがあると悲劇だった。

 親が自分のことを棚にあげて偏差値だのを気にするばかり、押し付けるばかりでは何もならなかったからだ。


 親が二人とも揃っているか、家庭環境は円満で穏やかか、親に社交性があるか、社会的立場や責任があるか、子育てに熱意が感じられるか。

 子供よりその親に問題がないかがみられたのだ。

 親の育て方に情熱が感じられなければ受験などやっても無駄なことだった。


 そして内申書は教師が気に入らない子供を自由にできる秘密の通達文だった。



 名門とされる受験先は、子供を受け入れて他の育ちのよい子どもたちと同居させることになる。

 問題を起こされてはたまらない。

 だから親が審査され、子供は学校でいかに問題を起こさない子供なのかが記録された。



 一部の子供はそれが分からない親のために、ただ受験勉強として詰め込まれ、そうして自由でのびのびした貴重な子供時代を無駄にしてしまった子もいた。


 それがマスメディアでは受験戦争とあおられた。だが本質は見失われた。




 ただ、こういう子供は頭がよい子に育ったことは確かだ。

 そのような社会の理不尽さがわかる人間になったはずだ。

 言われるままに動くような従順な羊のような子にはならなかったろう。


 それでよかったのだろうと思う。

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鼻くそをほじくる


 得意中の得意だった。


 子供の頃から鼻の調子が悪かった。

 母親の腹がきっと悪かったんだろうが、今更言ってもそれは始まらない。


 蓄膿症というわけではないし鼻声というわけでもない。

 花粉症はまだ発病していなかったが、いつも鼻の穴がむずむずした。



 その上、都会の汚れた空気でいつも真っ黒の鼻くそが出た。


 乾いていてよく取れた。

 見事なほどのでかいのがよく取れた。



 歳をとった今ではまるでそんなことがないから、考えてみれば不思議なものだ。



 その頃の子供たちはみんなそんな風に鼻クソをほじくっていた。

 やめろと言われても止められない。

 詰まっているものを掃除している感覚だった。


 女子はやる子はいなかったが、男子はみんな熱中した。


 何かまだ人間としてできていない部分があったと感じるものがあった。

 生まれてきたオリのようなものがまだ残っている感じだった。



 それは乳歯のように我々子供たち、特に男の子に未完成な自分を自覚させるものがあった。

 だからキレイに掃除すると少しよくなった気がしたものだ。


 こういうのと鼻タレ小僧というのとはまるで違うものだ。



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