授業の一環ではあったと思うが、アサガオを種から育てて咲かせるということをやった。
時間のかかることなので、授業の合間という感じで「アサガオを育てる」ということがはさまれた。
成長させた後、暫くは教室で全員のアサガオが窓際に並んでいたものが。
ツルがからまり、なぜか盛大に茂るということのないアサガオが鉢植えのまま育てられ、それぞれの所有者となる子供たちの名前がつけられ飾られていた。
最初は双葉から初めて、成長するとツルを絡ませるためのフレームなんかを工夫させて作られた気の長い授業だった。
しかし子供たちはみな、そのツルの成長には生命の力強さを感じた。絡まってゆくそのダイナミックな動きに感心したものだ。
植物というのは、もちろん日ごろから原っぱや色んなところで目にはしていたが、そこに動きがあるというのは実感がわかなかった。
じっと見ていたからと言ってすくすく育ってくれるわけではない。
植物の時間は静かなゆっくりとしたものだ。
ところがアサガオは明らかに朝に花が開き、夕方には閉じている。
そんな生命の働きが植物の世界でも起きていること、その実感が沸いたのはこんな授業からだったと記憶している。
では教師たちがこのアサガオの授業をどう捉えていたかと言うと、定かではない。
植物が双葉から生長する、変態ということをとりわけ強調はしていたが、生命というものがどう動くのかそれを子供たちに教えることになると分かってた教師はいなかったように思う。
子供たちは砂に水がしみこむようにその生命の実感を吸収はしていたのだったが。
この授業では、子供たちはかすかな教訓をアサガオに感じるとともに、密かに、生命のはかなさ、そのモロさ、その放擲される残酷さも知ることになった。
ひととおり花を咲かせ、出来栄えを比べるでもなく、成長の違いが説明されるわけでもなくまるであらかじめ予定されていただけのもののようにアサガオ授業は終わった。
授業が済んでアサガオを持ち帰るように言われる。
その頃にはたいていは枯れてしまっていて、すっかり別のことに気を取られ、各自がそれを蔑ろにしていた。
それを終わりだからとめいめいが適当に持ち帰らせられた。
子供たちは特有の残酷さで、授業で使われた用済みとなった草を適当にめいめいが自宅に持ち帰った。
みながせいぜい、プラの鉢と土ぐらいが土産になったというぐらいの感覚だったろう。
中には持ち帰るのを忘れた所有者不明のアサガオの鉢が、その枯れた姿をいつまで
も教室の窓際に残していて、惨めな姿を晒し続けていた。
生命が冷酷に扱われることもある。
忘れられることもあり、生きていたものが無造作に捨てられることもある。
用済みとなったアサガオを誰も気にかけない。
当時の子供たちはそういう残酷なことも何気なく覚えたのだった。
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