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給食


 給食はたいていの子供にとっては楽しいものだった。

 外から与えられる人生で初めてのものだったからそれを大いに楽しんだ。

 食うことをみなで共有する一体感もあったろう。




 ただ、一部で給食を苦痛としか感じない子供たちもいた。

 食事が細かったり、食べるのがゆっくりとした子供たちには給食の時間は苦痛でしかなかった。

 馬鹿な教師が早く食べるのを強要したり、最後まで食べるよう要求したからだ。


 彼らにとっては食事がトラウマにさえなった。


 我が国の同調圧力や、常に人と同じでなければならないという強迫観念は教育現場でもあった。

 これに疑問を感じずに育った子供は社会の歯車として生きることになった。


 こうした教育のやり方は誤りどころか愚かであり、それを強要した教師たちは実はちゃっかりと自分らだけの趣味嗜好を主張していたことからも欺瞞もいいところだった。

 教師の中には、そのまま給食を食うのが不満で、自分だけパンをトーストしてみたり、自分だけは温かなミルクを飲むような連中というのがいた。

 そのくせ食事を強要していたのは子供たちには明らかな嘘と映った。

 子供たちはそうした欺瞞を見ながら育った。



 だから、なかなか給食を食べられないで残されている子供をからかうような子供はいなかった。

 なぜ楽しいはずの給食で残され、無理やり食べさせられているのか、それはとても奇妙な光景に映った。




 かくも教師はクズであり、それが逆説的に教育になったのだと言える。

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遠足


 学校には遠足という一大イベントがあった。

 年に数回はやっていただろうか。

 近場へ日帰りで出かけ、ちょっとした登山や散策をして弁当を食って帰ってくる。

 山や海、河とそれぞれの学校から近い場所へ出かけた。



 学校より外へ出てゆく場合、課外授業、社会見学という言い方をする場合もある。

 遠足との違いは対象が特にないということ。

 要はハイキングや芋掘り、自然を満喫する機会の場合にには「遠足」と呼ばれた。

 泊りがけの場合は「林間学校」と呼ばれた。



 今、こうしたイベントが学校であるのかは知らない。



 安政遠足(あんせいとおあし)という日本のマラソンの発祥と呼ばれるものがあって、長野の安中藩で始まった。

 藩士の鍛錬のために考え出されたと言われている。

 これがきっと日本の学校教育の「遠足(えんそく)」の原点だろうと思う。


 歩くこと、どこかへ歩いて出かけ、そして帰ってくること。

 そこに意義を見出させることには何か共通するものを感じる。

 確かにクルマや電車がある現代では、子供の頃から一度も触れていなければ、歩いて出かけることに関心などなくなってしまうかも知れない。




 遠足の楽しさはみんなでガヤガヤと行動するというところにある。

 列を作って目的地へと移動する。 その列の多少の混乱の中に自由があった。


 その楽しさは子供はみな知っていて、遠足があると知らされれば歓声が上がり、課外授業だと何が出てくるか分からないものという感じで疑心暗鬼になったりした。

 遠足は何も要求されないが、課外授業は感想文や何か、必ず要求されるものがあった。


 こういう歓声が上がるというのは実は白々しいものもあった。学校の年間の予定と言うのはあらかじめ知らされていたのだから、知らないということはなかったのだ。

 ただ、ほとんどの子供たちはそういう年間予定を気にしないようにしていた。あまり信用をしていなかったのだ。

 それに当日が雨になれば中止になった。それほど期待してはいけないことをみなが知っていた。




 遠足には予定が配られ、あらかじめその日のスケジュールが知らされた。

 それを知ったからと言ってどうということはない。

 ただあらかじめの予告というに過ぎないし、親や保護者に予定を知らせる意味が強かったが、本来の趣旨で言えば子供らに「行動の予定」という、計画的な感覚を持たせる目的もあったのだろう。

 そんなことまで考えをめぐらせた教師などいなかったが。

 

 そうして弁当を食べたり、歩きながら話したり、唄ったり、とにかく移動するだけだったのだが、教師たちが風景を楽しんでいるのを見て、形ばかり「遠出を楽しむ」ということを味わった。



 軽いものとされていたから、遠足には記念撮影はなかった。

 そして必ず学校に帰ってきてからの解散となった。

 いくらだらしなくワイワイと出かけて帰ってきたとしても、最後だけは何か儀式のようなものでまとめられたものだ。




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