給食はたいていの子供にとっては楽しいものだった。
外から与えられる人生で初めてのものだったからそれを大いに楽しんだ。
食うことをみなで共有する一体感もあったろう。
ただ、一部で給食を苦痛としか感じない子供たちもいた。
食事が細かったり、食べるのがゆっくりとした子供たちには給食の時間は苦痛でしかなかった。
馬鹿な教師が早く食べるのを強要したり、最後まで食べるよう要求したからだ。
彼らにとっては食事がトラウマにさえなった。
我が国の同調圧力や、常に人と同じでなければならないという強迫観念は教育現場でもあった。
これに疑問を感じずに育った子供は社会の歯車として生きることになった。
こうした教育のやり方は誤りどころか愚かであり、それを強要した教師たちは実はちゃっかりと自分らだけの趣味嗜好を主張していたことからも欺瞞もいいところだった。
教師の中には、そのまま給食を食うのが不満で、自分だけパンをトーストしてみたり、自分だけは温かなミルクを飲むような連中というのがいた。
そのくせ食事を強要していたのは子供たちには明らかな嘘と映った。
子供たちはそうした欺瞞を見ながら育った。
だから、なかなか給食を食べられないで残されている子供をからかうような子供はいなかった。
なぜ楽しいはずの給食で残され、無理やり食べさせられているのか、それはとても奇妙な光景に映った。
かくも教師はクズであり、それが逆説的に教育になったのだと言える。
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