キリスト教系の幼稚園で育った。
クリスマスの出し物。
その時は学芸会とは言わなかった。
流れ星を見つけ、ベツレヘムの方向に救世主が現れると予言した博士の一人をやった。
台詞もあった。
それからの後、天文学には興味が沸くといったことはなく、罰当たりな人生しか歩んでいない。
それにしても、学芸会というのは、いったい何を教えたかったのか。
人前で喋ること、ならばそれは小学校に入ると発表会というものがさかんにやられるようになった。
あそこまで未熟な子供にとっての学芸会とは何だったのか。
もしかすると、親御さんへのサービスだったのかも知れない。
ウチは来なかったからよくわからなかった。
あるいは人前で演じることの面白さを伝えた? いや、まさか。
あるいは世の中の虚実と嘘というものを自然に体得させるため? いや、それもまさか(笑)。
何かを練習して本番までに仕上げることのリズム、仕事や自身の達成を習得させる?
んーー、それだろうか。
全員でひとつのものを作り上げようとする一体感?
んーー、美しすぎる。
少なくとも、学芸会というのは子供らにとっては人の視線を意識するものだった。
親が来るとか誰かの親に見られるとか、無理やりに公衆に引きずり出される感じがあった。
みんなそうだったと思う。
だから、小学校になっても、いつもならほとんどの子供は進んで何らかの役割を果たそうと立候補するのが低学年であるのに、学芸会の出し物に関してはみなが受身だった。
学芸会というのは子供たちには、いたく迷惑なものだった気がする。
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