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顕微鏡


 顕微鏡というのは、小学生の時に初めて理科の実験で触れたものでした。

 それは小さな、見えない、ミクロの世界。


 ミクロの世界とは言っても、子供なんかにそんな電子顕微鏡は扱わせませんでしたけれども。

 だからコロナウィルスが見られるような実験ではありませんでした。

 コロナウィルスは花粉の粒よりずっと小さいものです。



 プレパラートなんてガラスの薄い板があり、そこに見るものを挟み込ました。
 レンズを倍率によって交換しました。
 色のない、ミクロの世界を見るために着色をしたりもしました。
 数が少ないものを培養して、ハッキリみえるようにしたり、ミクロの世界を知るための技術やアイディアが紹介されました。


 確かに、授業としては、こういう顕微鏡と言うモノがあるのだと、その存在を教えられただけだったかも知れません。




 ゾウリムシとかミドリムシせいぜいそんなものを見るだけでしたけれども、そういう極小の世界があることには実は子供たちはみな感動を覚えたものです。

 とても興味がわきました。



 ただ、教育と言うのはいつでもそうなのですが、教師は結局、顕微鏡の扱いを紹介しただけに終わります。


 せいぜい、見えない世界でも何かが動き、活動し、作用しているという想像力を教えただけ。

 ミクロの世界が世界すら支配していることにまで広げられる授業なんてなかなかできなかったでしょう。



 だから、小さなものを拡大してみることに対するワクワクした感じというのは、当事者の子供にしかわからないものだったはずです。

 それはNゲージと同じですし、宇宙船と同じ、星と同じようなものでした。



 しかしあまり教師に理解できる者がいなかったことは、それは少し残念なことだったかも知れません。

 子供の感覚で教えられるような教師はほとんどいなかったでしょうから。


 あの時、ちゃんとした指導が受けられた人は、きっとそういう分野に進んだはずです。

 そしてノーベル賞なんか取っているかも知れません。

 



 そういう人が成長して大人になって、今のコロナウィルスと戦ってくれているのかも知れません。


 頑張って欲しいものです。

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社会見学


 昔は社会見学という授業があったものでした。
 そして子供たちはといえば、外へ遊びに行くのと同じようにその授業を考えていました。



 子供たちにとっては、一種のレクリエーションみたいなものでした。



 官庁を見学に行ったり、裁判所を観に行ったり、結局はワイワイガヤガヤ。工場なんて見に行ったという人もいるでしょう。
 

 しかし、当時の子供たちはそれが社会との接点だあるとは誰も考えてはいませんでした。




 日常は私たち子供を常に取り巻いているものです。

 大人がいて、クルマや電車が動いていて、社会というものの仕組みは見えました。



 私たち子供は社会見学といいながら、実はその「社会を見させられる」という儀式を子供として受け止めていたのかも知れません。

 それはクルマや電車などではなく、私たちが子供として、わざわざ見学をさせていただくもの。

 子供としての立場の確認。
 

 もしかすると、そういう授業が社会見学というものだったかも知れません。



 だから私たちはワイワイガヤガヤと子供でまとまっていました。


 「社会を見学する子供」という、役割、その子供のひとかたまりになるために。

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