昔は定期券なんてものがあって、電車通学している子供はランドセルの横にくくりつけてぶら下げていたものでした。
ゴムひもみたいなもので定期をケースに入れて、見せるときはグイと定期券を伸ばして駅員さんに見せました。
定期は見せるだけでした。
都会などでは電車通学をしている子供がいました。
小学校というのはそれぞれの学区というものがあって、居住地の近所の学校に行くことが定められています。
ところが、自分の近所の学校が教育上よくないとか、格式に劣るなどの理由で学校を選ぶ親というのがいました。
親戚や知人などに頼んで住所を変更し、そこでその居住地だとしてわざわざ遠方の小学校に入学するようなことをしたのです。
だから、子供たちはわざわざ遠方から電車を使って通学したのでした。
これを「越境入学」なんて言ったりします。
定期券をランドセルからぶら下げている子供たちはそうした越境入学の子供がほとんどです。
定期を買い、そんな子供たちは毎日何時間もかけて学校に通います。
改札を通過する彼らは駅員さんから温かい声がかけられたものです。
こんな電車の通学風景に関しては、今の人には説明が必要かもしれません。
昔は切符の自動改札もありませんでしたし、スイカみたいなものもありませんでした。
切符というのは駅員さんに渡して回収してもらうものでしたし、電車に乗ろうと改札を通る前には駅員さんに切符に印を押してもらったりハサミを入れてもらいました。
駅の改札口には駅員さんが通せんぼして立っていて、乗客の切符を受け取ったりします。
乗客がホームに入場する時は、駅員さんが切符にハサミを入れるのです。
駅員さんの立っている場所というのは、さしずめ高速の料金所のような感じでした。
右と左、それぞれに人の流れが分かれて、これから電車に乗り込もうとする入場者と、列車から降りてきた乗客に別れていました。
駅員さんはその真ん中、腰辺りまでの高さの箱に入っていて、乗客をさばきます。
乗り越しがあればその場で清算。
定期券は有効期限などを目視で確認します。
あまり乗降客の少ないような駅や、乗降客の少ない時間帯などだと、電車が来るときだけ駅員さんはその箱に入りました。
奥の駅員さんの控え室などから、電車到着の時間帯だけに出てきて準備をします。
料金箱を持ち込んで、電車が到着すると乗客が降りてくるのを待ちます。
電車通学の子供たちが持っていた定期券というのは、言ってみればただの通行証でした。
今のように自動改札はありません。
これは今であるもので言えば、例えばスキーのリフト券、一日券みたいなものでしょうか。
駅員さんに見せるだけでした。
駅員さんは改札を通過する乗客の見せた定期券をさっと見て、確かにその定期の期限が切れていないかどうか、目的地は合っているかどうかを確認して乗客を通しました。
その駅員さんのいる箱は子供たちにとっては関所のように見えたものでした。
人のいないところの立て看板、「許可なきものの立ち入りを禁ず」なんて、すぐに理解できた子供はそんな電車通学をしていた子供たちだったかも知れません。
改札を通過する子供に挨拶をしてくれる駅員さんも多く、子供たちは長い通学の気休めにしていたものです。
普段、よっぽどの時でなければ電車を利用しないという育ち方もあったでしょう。
野原を駆け回り、歩いて学校に通った子供たちもいるでしょう。彼らの子供時代は豊かな自然に溢れていたかも知れません。
こうした電車通学をしていた子供たちも、ある意味では自然の中を駆け回っていたのです。
大人たちのひしめき合う、コンクリートジャングルを自然の場所として。
彼らには河や橋の代わりに、改札という関所があったのでした。
[0回]