手品というのは昭和の時代にはたいそう流行したものだ。
大仕掛けでやるものもハヤったし、テレビでも盛んに放送された。
マジックショーなるものが普通に劇場で催されたりした。
引田天功というマジシャンが一世を風靡し、脱出に失敗したか何かで死亡したという話が子供たちに伝わった。
その二代目が女性で活躍した。
子供心にそれはマジックのスリルを駆り立てる二ュースだったし、昭和史のひとつの思い出である。
昭和の時代、たいていのデパートにはマジックコーナーなるものがあって、各種の手品のタネを売っていた。
オモチャ売り場の片隅にあったと記憶している。
そこはまるで新興宗教か何かのような秘密めいた香りがあって、大人でも子供も、興味がありながらも横目で様子を伺うような秘密めいたところがあった。
よほど関心が高い客だけがその店に入っていって何かを買い求めたりした。
当時のたいていの子供たちはテレビで放送されたとしても、手品の話をあまり好んでしなかったように思う。
なにしろタネがあるということが嫌いだったし、騙されるということに警戒感があった時代だった。
誘拐事件があったということもあった。
騙されないようにしようという空気があった。
しかしなにしろ、わざわざタネを覚え、練習をして人を騙す、その趣味がなにしろ分からなかった。
人を驚かすような事件で世の中が溢れていた時代でもあった。
一部の人たちはタネがあることに逆に安心をし、マジックショーを好んだのかも知れなかったが、子供たちにはさっぱり分からなかった。
見れば面白くともあまり深く考えたくない。
タネはあるがどうせ分からないさ。
みんなそんな風に考えていたと思う。
この頃、小学校ではよく小さな発表会というのがクラスで行われた。
研究発表やかくし芸、日頃の鍛錬や歌や踊りの披露など、個人が発表する場というのがクラスの中で与えられたものだ。
段取りのよい教師のもとではこういうことをクラスで繰り返し、よほどこれは世間に見せるだけのものがあるという生徒がいれば、実際に学校全体で、外へ向けて開催される学芸会などでやらせたりした。
しかしたいていは、クラス全員に持ち時間をやって順番にやらせることは難しく、結局クラスの何人かはやらずじまいだったりしてしまった。
授業の一部を使ってやらせるから、一人、二人、それも一週間に一度ぐらいの頻度であればなかなか全員に出番が行き渡ることがなかったからだ。
ともかく、そんな発表会で手品をしてみようと考える子もいた。
ある日、一人の男子がその手品を披露することになり、あらかじめどこからか買ってきたネタでマジックショーをその発表の時間ですることになった。
バナナか何かを切るという手品だったと思う。
みんなマジックに興味はあるが自分ではしたいとは思わないのが普通であった。
なにしろ手品をするには、自分はそのタネを見てしまうことになる。
自分では驚けないものを人に見せて驚かすこと、そういう趣味と言うのは特殊だと思う。
だから、わざわざクラスメイトがその役割をやってくれるというので、クラスのみなが喝采で彼のマジックを注視した。
ところが、どういうわけかそのマジックが失敗してしまい、彼は出血してしまう。
流血はそれほどたいしたことはなかったが、鮮血が床にこぼれ、クラスは凍りついたものだ。
それから、手品に関しては発表会でやるのはご法度ということになったのだが、なぜあれは教師が自然にチェックしておかなかったのかと振り返る。
教師の怠慢もいいところだったと思う。
今なら大問題だろうが、昭和の時代はさほどゆるい教育と教師がまかり通っていたのだった。
学習ということであればみなが熟や自宅での市販のドリル、学校以外での方が学ぶことはずっと多かったのだった。
マジックを披露しようとした彼も、きっとそのためにデパートに行き、ちょっとしたレクチャーを受け、自分でも練習をするという、学校では教えてくれない大事なことを学んだのだと思う。
だから、そのことは彼にとってはよかったことなのだと思う。
たとえ失敗したとしても。
以上、手品にまつわる子供時代のこぼれ話である。
[0回]