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キスの思い出


 「ファーストキス」なんて言葉が流布されるようになったのは、自分の経験からすればずっと先のこと、中学生ぐらいになってからのことです。

 それまでの小学校生活ではキスなんて言葉はマンガやコミックでの話に過ぎませんでした。


 あるいは映画での話でした。

 「片思い」とか「両思い」とか、言葉だけが独り歩きしていた時代でした。




 実際にどういう気持ちになったからキスをするかなんて、その頃は考えたこともなかったし考えられませんでした。

 ただ私の場合、早熟というか早めにその「キス」という情報は聞いていたというのだけはあったのです。



 だから、ある日、女子を通じて、「あの子が実は君が好きだって」なんて話を聞いた時、「これでキスができる」と、密かに思ったものです。


 当時の子供たちはやたらと常に伝聞が好きで、「この話は誰それから聞いた話だけど・・・」なんてことをよくやっていました。

 まるで村社会です。

 私はそれをとても卑怯なものに感じた。


 今の子供たちはどうなんでしょう。

 まだそんなことをしているのでしょうか。



 そういう伝聞の「告白」を受けると、こちらはもうその子を自由にできるような気分になっていました。

 別に一緒に帰るようになったわけでもありません。

 「告白」というものがあったために、私はまるで所有物のようにその子のことを感じていたのでした。


 そして家からコソコソと電話なんかして、その子ととりとめない話をして、いつもの教室では普段と変わらないように隠した。

 「伝聞での告白」というのを私はそんな風に受け取っていたのです。


 私はクラスの女子からは嫌われていました。

 その私に「告る」なんてのは他の女子の手前それは許されない。

 だからコソコソと付き合う、そういう感じでした。

 コソコソと私はその子に連絡を取りました。



 そして電話では、普段のクラスでの態度とは違うことを見せました。

 まるで「秘め事」でした。

 そうしたやりとりがあった後のこと、ある日、その子を体育館に行く通路に呼びつけてちょっとした挨拶をした。

 改めて、「聞いたよ」なんて顔をしてね(笑)。


 クラスメートですし、連絡はしていて声は聞いていますから、いまさらのことでしたけど・・・挨拶みたいな、そんなことをしたのを覚えています。

 そうして私は突然、小学校5年生の子供が無理矢理、それこそ無理やり、その子の唇を奪う感じでキスをしました。

 それが私のファーストキスだった。

 その子は逃げるように教室に帰っていった。



 想い出としては薄いものです。

 なにしろ「この子にキスをしたい」なんてものはなかったのですから。


 
 それからなんだか気まずくなってしまったのは必然でした。



 その紹介してくれた子からも「あの子はあんたが最近はエッチになって嫌だって言ってる」なんてことまで言われる始末でした。




 それから卒業して、暫くたった後のことです。

 もう中学二年生でした。

 その子の家をちょっとした機会があって遠くから眺めたことがあります。


 家から出てきたのはその子でした。

 猛烈に太った子でした。デブ。


 なんでこんなのとキスしようと思ったのか、まるで私には分かりませんでした。



 もう中学生にでもなると、キスどころかセックスまで意識していましたので、好き嫌いという感情の性質は小学生時代のそれとはまったく違っていたのでした。

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お受験


 バカで、劣等感の塊のような親が、子供たちを追い込んだ。

 昭和の時代にはそんな親の暴走がよくあったものだ。


 そこそこの暮らしをしているというのに、子供に健全な育ちをさせようとはせず、なぜか上昇志向に目覚め、狂ったように子供たちを受験へと駆り立てた親たちがいた。

 昭和の時代はそんな受験戦争という熱狂が言われた時代でもある。


 中学受験どころか小学校の受験というのもあった。




 しかし当の親たちは、実は受験の本質など何も理解していなかった。

 
 今ではどうだか知らないが、受験というのは実は勉強の出来不出来だけではない。

 つめこみ教育だの受験戦争だのと言ってもそれは建前に過ぎない。

 実は結果とはあまり関係がない。


 日本の学校では教師からの内申書というものがモノを言った。


 よい環境で育てようなどと、学習院などの名門校をそこらの公務員の子息が受験しても受かるはずはない。

 どんなによい成績を上げていたとしても、受験に通ることと点数はまるで関係がないのだ。


 お受験では親がむしろ見られた。

 親がそれに気が付かないケースがあると悲劇だった。

 親が自分のことを棚にあげて偏差値だのを気にするばかり、押し付けるばかりでは何もならなかったからだ。


 親が二人とも揃っているか、家庭環境は円満で穏やかか、親に社交性があるか、社会的立場や責任があるか、子育てに熱意が感じられるか。

 子供よりその親に問題がないかがみられたのだ。

 親の育て方に情熱が感じられなければ受験などやっても無駄なことだった。


 そして内申書は教師が気に入らない子供を自由にできる秘密の通達文だった。



 名門とされる受験先は、子供を受け入れて他の育ちのよい子どもたちと同居させることになる。

 問題を起こされてはたまらない。

 だから親が審査され、子供は学校でいかに問題を起こさない子供なのかが記録された。



 一部の子供はそれが分からない親のために、ただ受験勉強として詰め込まれ、そうして自由でのびのびした貴重な子供時代を無駄にしてしまった子もいた。


 それがマスメディアでは受験戦争とあおられた。だが本質は見失われた。




 ただ、こういう子供は頭がよい子に育ったことは確かだ。

 そのような社会の理不尽さがわかる人間になったはずだ。

 言われるままに動くような従順な羊のような子にはならなかったろう。


 それでよかったのだろうと思う。

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