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初潮

女生徒の中には早くも小学生から初潮を迎えてしまう子がいました。

 それは、多分にイレギュラーなことだったのだと思います。

 突然に先生がドタバタと走り回って隣のクラスの教室に駆け込んでいきました。


 隣の担任が深刻な顔をして女の子をおぶって保健室へと運んで行きます。

 保健室へ連れて行かれる、だから心配はないだろう。
 不思議と子供たちには保健室というものへの信頼というものがありました。




 体操服を着ていましたから、体育の時間だったのでしょう。

 何事かと思った我々が廊下を覗くと、男子も含めてみんなその子が連れて行かれるのを見守っていました。

 おぶさられた女子はうつむいて、じっとしていました。
 体育の授業中だったようでした。


 その女の子は教師におぶさっていたのですが、お尻のブルマーのあたりからくるぶしの当たりまで真っ赤な血が垂れていました。


 男子たちはそれを見て動揺し、何か深刻な事故でもあったのではないかと噂し合ったものでした。

 それが女の子の初潮であることを知ったのは後になってからのことです。



 中学生ぐらいになると親もそろそろだと気をつけますから、学校で不意にというケースは珍しいものだと思います。
 親たちが体調の変化などを見て、赤飯を炊くタイミングは逃さないものです(笑)。

 女性がいよいよ子供から女性へと花開く準備ができたということです。


 ところが、予期せぬタイミングで初潮が来てしまう子はいました。
 やはり体育のような体を動かしていた時が多かったようです。


 突然の初潮を迎えた女子が教師におぶさって保健室へ運ばれるたのでした。


 あまりないことだったに違いありません。
 私もそんな出来事を見たのはひとりだけでした。



 しかし女子たちに関しては、なぜかこういうことをみんなが知っていたようで、事故みたいだと騒ぐ男子をたしなめるような子さえいたものです。

 「男子は子供だなぁ」確かそんなことを言った子もいました。
 そして女子たちはそんな男子に説明をするようなこともありませんでした。


 男子たちは訳が分からず、女子の血が出るというメカニズムも分かりません。実際、子供ですから、分の体以外のことを考える想像力もあまり働きませんでした。

 冷静な女子とどよめく男子という感じで、まるで対照的でした。


 担任の教師というのも慣れておらず、やはり男子と同じようにうろたえていたものです。


 こういう時、あの時の女子は、少しどこか恥ずかしそうな顔をしていた気がします。

 それは実際に「生理痛」ということが定期的にやってくるようになる中学や高校という年齢になっても恥ずかしそうにされたものでした。

 「生理」というのは、子供を産むということと大いに関係があります。
 子供の頃はただの出血でも、大人になるにしたがって生理が重くなってゆく人もいます。

 女性にとっての定めではありますが、重い人もいますし軽いひともいます。きっと生理痛が重いという人は「子供を生め」という遺伝子の声があるのかも知れません。

 そんな女性はきっと残すべき遺伝子がある女性なのかも知れません。



 それにしても、こういうことへの周囲の対応というのは、昭和の頃と今では違うものがある気がします。

 今なら恥ずかしそうに「生理」ということをクチにする女性はいないと思います。
 周囲も聞かないフリや気付かないフリをするということはありません。



 「生理」というのは、古くなった卵子を生理によって排出し、次の卵子を育てまた子供を埋める状態へとカラダを回復させるものです。
 ごく自然な人間のカラダの働きです。


 しかしそれは、そろそろ子供を生める年齢であるという肉体のサインでもあります。

 そうなれば相手をみつけ、結婚をするというのが昔の日本のならわしでした。

 昭和の頃はまだそんな名残りが残っていたため、生理とくれば結婚や出産、性交渉ということにに結びつくものとされたのでしょうか。
 だから、世間的にはちょっと恥ずかしいことと認識されていたのだと思います。


 一方、これに対して家庭の中では初潮というものは喜ばしいものでした。

 子供が女性になって子孫を残すことになる。
 そのサインが無事にやってきたことになるからです。


 そういう意味では、外と内が違っていたというのが昔の姿だったのです。
 今はあまり内と外の区別がついているようには思えません。

 家庭内で「そういう言い方はいけないんだよ」なんて、言葉狩りさえあるようですから。


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迷子


 迷子というものがあります。どんなことが「迷子」なのでしょう。

 親や保護者とはぐれてしまい、どうしてよいか分からないでいる子供。

 泣いたり、独りでさ迷っていて、誰かに見咎められて保護されます。


 迷子というのは、「子供が大事」という前提のことです。

 昭和の時代、「迷子」というのは、「子供は一人でいてはいけない」そんな前提、そんな考え方から保護されたものです。



 今の時代はどうでしょう。

 親を探している子供と見られなければ迷子とはされないかも知れません。

 事情があれば子供が一人でいることだってある、そう見られるかも知れません。

 その子供がどんな家庭か、どんな親かは分からない。

 子供と他人が関わるものではない、そんな風潮があると思います。


 今、悲惨な出来事が子供にあちこちで起きています。

 親の庇護どころか、親に虐待される事件が頻繁に起きている時代、昭和の時代を思い出すと、「迷子」というのは今とは少し違う子供に対する見方があった気がします。

 不思議な気がします。




 子供の頃、「一度も迷子になったことがない」という人もいます。

 それは親がちゃんとよく見ていたということです。

 あるいは自分は勝手に動かず、「親とはぐれなかった」ということ。

 自分を守ることを知っている子供だったということ。


 動物の世界では、群れからはぐれてしまった子供は捕食される運命しかありません。

 今は親と一緒にいても、その安全は確かだとは誰にも言えない時代です。




 お祭りなどでも、迷子というのは出ました。

 ただお祭りの場合の迷子というのは別のものだと思います。


 「神隠し」なんて言葉はまだ昭和には普通にありました。

 あの頃、一度でもお祭りで迷子になったことのある人がいたら、それはきっと幸運だったのかも知れません。


 神様の見守る結界の中で、どこか不思議なところへ迷い込んだのでしょう。

 それはきっと思い出せないことなのかも知れません。


 きっとそれは貴重な経験だったのだと思います。



 『千と千尋の神隠し』というアニメは、きっとそんなことを描きたかった映画なのかもしれません。


 人は迷う。

 人生を外れたりします。

 それが幸運であるかどうか、それは周り次第。



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