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迷子


 迷子というものがあります。どんなことが「迷子」なのでしょう。

 親や保護者とはぐれてしまい、どうしてよいか分からないでいる子供。

 泣いたり、独りでさ迷っていて、誰かに見咎められて保護されます。


 迷子というのは、「子供が大事」という前提のことです。

 昭和の時代、「迷子」というのは、「子供は一人でいてはいけない」そんな前提、そんな考え方から保護されたものです。



 今の時代はどうでしょう。

 親を探している子供と見られなければ迷子とはされないかも知れません。

 事情があれば子供が一人でいることだってある、そう見られるかも知れません。

 その子供がどんな家庭か、どんな親かは分からない。

 子供と他人が関わるものではない、そんな風潮があると思います。


 今、悲惨な出来事が子供にあちこちで起きています。

 親の庇護どころか、親に虐待される事件が頻繁に起きている時代、昭和の時代を思い出すと、「迷子」というのは今とは少し違う子供に対する見方があった気がします。

 不思議な気がします。




 子供の頃、「一度も迷子になったことがない」という人もいます。

 それは親がちゃんとよく見ていたということです。

 あるいは自分は勝手に動かず、「親とはぐれなかった」ということ。

 自分を守ることを知っている子供だったということ。


 動物の世界では、群れからはぐれてしまった子供は捕食される運命しかありません。

 今は親と一緒にいても、その安全は確かだとは誰にも言えない時代です。




 お祭りなどでも、迷子というのは出ました。

 ただお祭りの場合の迷子というのは別のものだと思います。


 「神隠し」なんて言葉はまだ昭和には普通にありました。

 あの頃、一度でもお祭りで迷子になったことのある人がいたら、それはきっと幸運だったのかも知れません。


 神様の見守る結界の中で、どこか不思議なところへ迷い込んだのでしょう。

 それはきっと思い出せないことなのかも知れません。


 きっとそれは貴重な経験だったのだと思います。



 『千と千尋の神隠し』というアニメは、きっとそんなことを描きたかった映画なのかもしれません。


 人は迷う。

 人生を外れたりします。

 それが幸運であるかどうか、それは周り次第。



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