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はじめての自転車


 必要があれば誰でも乗るようになると思うのだが、なぜか自転車を早めに乗りこなすということが至上の目標と考えられていたフシがある。


 自転車には補助輪とかがあって、やがてそれを外して自転車を乗りこなすようになる。


 その練習なんかをいきなり補助輪なしでやらされたのもいたし、補助輪を使っていつまでも悠々と自転車に乗っていたのもいた。




 今思えば、自転車などまるで教育的効果などなく、単にゲームやパソコンと同じで与えられれば自然に覚えるものだと思う。

 自転車の乗り方を教えるなんて、どこかしら大人たちに教条的なものがあって、その押し付けがあったのだと思う。

 教えているフリ、育てているフリ、子供たちはそういう下界との軋轢の中で育っていった。


 銃の撃ち方でも教えればよいのに。



 日本の社会は子供をあまり大事にはしない。

 常にネタ、食い物にするだけだ。


 だから、この自転車に関しては、そのうち産業の側、メーカが子供の乗る自転車を工夫して売り出し、ピカピカ光るライトがついたり、色んな仕掛けがついたものを市場に出してきた時、ほとんどの大人たちは眉をしかめたものだ。


 地方によってはこれについて禁止したところもあったと聞いている。


 親のうちでは、自分の見栄になるというので買い与えた親がせいぜいいたぐらいだった。


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跳び箱


 小学生になって最初に体育館で跳び箱を見たとき、なぜかそれに違和感がなかった。

 それまで見ていたわけでも知っていたわけでもないのに、なぜか不思議なものに思わなかったことをはっきりと思い出す。


 それがきっと「学校」というものなんだろうと、勝手に納得したことなのだろう。



 跳び箱は、やってみると、案外と上手に飛べたものだった。

 馬跳びとかやるようになったのはその後のこと。

 普通に飛べたことが面白くなった連中が体育の時間でないのにやりたがった。


 跳び箱の飛び方、それをクチで教えられたら普通にできたのだ。



 ところが、どうしてもなかなかこの跳び箱がうまくできない子というのがいて、いつもなぜかまごまごと固まって遠慮がちに引っ込んでいた。

 それはきっと、何か別の価値感があって、跳ぶのを邪魔しているような気がしたものだ。


 言葉では理解できない、どうしても受け付けない何かの価値観ゆえに跳べない。

 そんなある種の障壁を感じたものだ。



 そのことが気になったものだから、自分が何段飛べるようになるかなんてあまり興味は起きず、むしろいつまでも少しも飛べない子のことを考えていた。


 今も思う。
 あれはいったいなんだったんだろうか、と。



 ひょっとしたら、あの時、跳べなかった子たちというのは、実は異星人で、そして妙に跳び箱を怖がっていたとか?



 一時的に異性人が乗り移っていて、それで跳べなかったとか。



 それは冗談としても、それほどの断絶を感じたのは事実だ。

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