必要があれば誰でも乗るようになると思うのだが、なぜか自転車を早めに乗りこなすということが至上の目標と考えられていたフシがある。
自転車には補助輪とかがあって、やがてそれを外して自転車を乗りこなすようになる。
その練習なんかをいきなり補助輪なしでやらされたのもいたし、補助輪を使っていつまでも悠々と自転車に乗っていたのもいた。
今思えば、自転車などまるで教育的効果などなく、単にゲームやパソコンと同じで与えられれば自然に覚えるものだと思う。
自転車の乗り方を教えるなんて、どこかしら大人たちに教条的なものがあって、その押し付けがあったのだと思う。
教えているフリ、育てているフリ、子供たちはそういう下界との軋轢の中で育っていった。
銃の撃ち方でも教えればよいのに。
日本の社会は子供をあまり大事にはしない。
常にネタ、食い物にするだけだ。
だから、この自転車に関しては、そのうち産業の側、メーカが子供の乗る自転車を工夫して売り出し、ピカピカ光るライトがついたり、色んな仕掛けがついたものを市場に出してきた時、ほとんどの大人たちは眉をしかめたものだ。
地方によってはこれについて禁止したところもあったと聞いている。
親のうちでは、自分の見栄になるというので買い与えた親がせいぜいいたぐらいだった。
[0回]
PR