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習字


 小学校の頃には習字の時間というのがあった。

 そこには道具の用意が必ずつきまとった。

 筆、硯、墨汁、半紙、半紙敷き、文鎮、これらをまとめたひとつのケースを買わせられた。

 硯箱なんて呼び方がされていたものだ。

 それから書いたものを丸めて持ち帰るためのプラスチックの筒なんてものもあった。


 昭和の子供たちは忙しかった。

 やたらと時間割に応じて用意させられるものが多かった。


 気を利かして教室に置きっぱなしにしておくことは許されず、毎回自宅から持参するよう指導を受けた。

 毎回、授業があるたびにわざわざ学校へと運んだのだ。


 そういうことが効率的なパッキングに結びついたかと言うと、そうでもなかった(笑)。


 ただ、なんだか悪徳ツアーに騙されて無理やり指定の土産物店に連れて行かれ買い物をさせられる、そんな印象しかなかった。



 習字だ習字セットだ、体育なら体操着だ、国語なら辞書だ。


 なんだかんだと、色々と持たされ、買わせられ、用意させられ、動かされたものだ。

 そうした授業に関して使うものは必ずといっていいほど学校指定のものを買わせられたものだ。


 あの当時、そういう学校指定のものというのがやたらと多かった。

 先輩のお下がりや誰からのいただきものを使っていた子もいなかった。



 それで汚職、贈収賄というものが報道されたという記憶はまるでないから、ほとんどの教師らがああした学校指定の絡みで何らかのリベートやキックバックを得ていたのだということが分かる。

 今なら事件でしかないだろう。


 学校というもの理不尽な側面、信用のならない部分でもあった。



 子供たちは、当時、田中角栄だの何だのと騒がれていたのはとうに承知していたし、こういう学校指定というものに胡散臭いものがあることもちゃんとそれと結び付けて分かっていた。


 教師たちだけは気がつかれていないと思っていたに違いがない。


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掃除当番


 「掃除の当番」なんて、今から思えばなんでもないこと。


 自分で進んで掃除ぐらいはする。

 言われなくてもするようになった。


 ところが、なぜか子供の頃。

 この学校での掃除当番というのは嫌なものだった。

 みんなが嫌った。


 あまりに嫌なもんだから掃除中に遊んだり、ハシャいだりした。



 要するに、あれは他の連中が遊びに出て行き、自分たちだけが少人数のグループにまとめられて掃除をやらせれることが嫌だったのだ。


 他のみんなは外へ遊びに出かけてゆく。


 まるで厄介を押し付けられたように感じる構図があった。


 だから「日直」とはまるで違うものだった。

 日直というのは二人だけだ。



 だからそれこそ支えあう必要があり、それが親密になるキッカケになるなどと喜んだものだ。




 これに対して掃除当番は10人とか14人ぐらいのグループだ。

 そして当番だからというくくりでまとめられる。


 中には気に入らない奴もいる。

 退屈な奴もいる。

 それが、日直などの二人だけというならなんとか我慢できても、そういうグループでまとめられるのは不快だったのだ。


 
 そういう子供たちの感覚、両者の違いがわかる教師というのは当時はほとんどいなかった。


 だからきっと、今でも教師はなぜ日直にあれだけ誇りあるかのように臨んでいるのに、掃除当番を嫌ったのか、それが分からないのだろう。



 おかしな教師の中には、その理由が、「汚くなる掃除だから子供は嫌うのだろう」とまで考えたのもいたようだ。



 そういう風に、子供たちの気持ちがまるで分かっていないのが、平然と教師ツラをしてやっていたことの異常さにむしろ寒気がする。


 今の学校生活でも「掃除当番」という制度があるかは知らないが。

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