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昔の子供たちは競争が大好きでした。
かけっこなんかがとても大好きでした。
運動会の障害物競走なんて、まるでRPGゲームのように大好きでした。
友だちとの競争が大事でした。
色んな意味での競争がありました。
運動、体力、要領、知恵、どんな場合でも子供たちはお互いを競い合うものでした。
今、それはいけないことのように言われているけれども、どこか違う気がします。
この昭和の頃、親たちは学校に常に疑いを持っていました。
日教組が問題となっていた頃でした。
学校の中では何を教えているか分かったもんではない。
どうせくだらない日教組の教師たちがおかしなことを子供吹き込んでいる、そんなものに洗脳された子供は将来ロクでもない人生しか歩めなくなる。
そんな話は昔は常にありました。
だから学習塾が盛んになり、学校教育などは二の次になったりしたのでした。
受験戦争などと言われはしましたが、程度のいい学校へ行かせるというのはそういう妙な介入が避けられる教育を受ける選択という意味もあったのです。
だから、こうして小学校のレベルでも授業の成果が開放され、父兄の視線に晒される機会というのはとても重要なことだったのです。
一方で子供たちはそんなことにはお構いなしでした。
ダンスでは気に入った女の子と手を繋げることを楽しみにしましたし、体力自慢の子供はここぞという時に自分を披露するチャンスでした。
頭のよい子供ばかりではありません。体力のある子供ばかりではありません。
頭の良い子は要領のよさで、借り物競争なんかを切り抜けた。
今でこそデデニーランドなど、色んな出来合いのエンターテイメントのある世の中ですが、昔は子供にとっては、通う学校の催しが最大のイベントだったのでした。
そうして、お昼になり、お弁当を各自が持ち寄ってまるで花見のように各家族がワイワイと場所をとって昼食をとったりします。
今度は家族の結びつきという「成果」をお互いに見せ合う番になります。
程度のよい学校ほどこうした試されるようなところが多くありました。
両親が不仲であるとかは、アメリカでも重要なマイナス要因になります。
しかしお昼の時間は子供たちにとっては遠足のような楽しみでした。
外で食事を取ること、他の友だちの家族の団欒を見ながら食事をすることはとてもワクワクすることだったのです。
思えばこのお昼の時間は妙に長かったような気がします。
昭和の昔は、運動会でビデオカメラを回す親はいませんでした。
声を張り上げて親がわが子を応援したりなんてことさえなかった。
そんなことを祖母や祖父などはよくしたものですが、そうすると子供は嫌がったものです。
ビデオカメラを片手に子供の競争を声を張り上げて応援するなんて、それこそカメラメーカーが無理やりに作ったものかも知れません。
運動会では親たちが学校の様子と運営を知るというのが大事でした。
そして親たちはお互いに家族の関係というのを見せ合いました。
自分の子供が大事にされているか、疎外されていないか、団体行動の中でそれを見に行ったのです。
運動会などの学校の催しが、子供の成長の記録とか記念のようになっていったのは、ちょっと後になってからのことです。
その頃は学校運営は正常化され、異常な教師はすぐに問題になっていました。
さすがに教師への監督はいっそう厳しくなり、勝手なことをする教師はあまりいなくなった頃です。
教師の児童へのイタズラがあれば、すぐにでも警察沙汰になった頃です。
そうなる前は、運動会は学校を解放して親がその成果を「監査」する場であったと言えます。
今、PTAのような常設の集まりが廃れ、父母会のようにして何か問題が起きると集まるという形になったのは「学校といえども法律に従って正しく運用されている」という、そんな保障がある程度できるようになったせいかも知れません。
ただ、まだ学校側はイジメへの対応などでは相変わらず法を無視したところがあります。
変態教師は資格を剥奪されることもなく、偽装してまた次の学校で餌食を探すのです。
見かけは洗練されてきたように見えても、昔と相変わらず、教師や学校の運営と言うのは、親が監視していなければいけないものなのかも知れません。
また今回のコロナで、こうした学校開放の機会は減りつつあるようです。
子供の将来を左右する大事な時期、どれだけ工夫できるかは各家庭に委ねられています。