忍者ブログ
広告



宅配無料
レンタルベビーカーサービス

シェアno1のコンビ製品
ad
プライバシーポリシー

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

色紙遊び

「しきし」ではなくて、「いろがみ」という読み方をする方です。



 折り紙を折るための紙ですが、それは色とりどりの紙がありました。

 それを水に漬け、色を出して混ぜたり、抜けさせたりする遊びがありました。


 


「いろがみあそび」なんて、今ならどういうこと趣旨の遊びか分からないかも知れません。


 色のついた各種の紙があって、それを水につけて色を染み出させて遊ぶのです。

 水が出た色に染まります。それぞれの色を混ぜたりもしました。

 そういうことが面白いと遊んでいた子達がいました。

 特に女子たちがよくやっていたものです。


 まるでママゴトか実験のように彼女たちは熱心でした。



 もちろん銀紙と金はダメでしたが、他の色は抜けてくれました。

 紫、橙、青、黒、赤、黄色。



 まるで茹で過ぎた何かのように、みるみるうちに着色された紙の色が水に染み出してゆきます。

 その紙をバットとかか何かに浮かべて、女子たちはその色の変化の不思議に喜んでいたのです。


 授業でもアサガオなどの花からも色が出ることを教わります。

 もしかしたらその連想で始まったことかも知れません。




 よく言われる低学年の子供たちの遊びというものがあります。

 たいていは「手」を使う遊びです。


 「泥団子」とか「虫採り」みたいなものです。

 子供たちはまだよく知らない世界のあちこちに、日々驚きの目を向けていました。

 そしてなんとかそれをモノにしようとして連想や想像力を使って手に触れ、そして心に触れようとしたものです。



 それがたとえ多少は有害な工業製品であっても、変化というものに子供たちはとても敏感だったものです。

 今はそうした生活の危険からは遠ざけられているのが現代の子供たちですが、果たして世界の広さと複雑さを彼らは今どう理解しているのでしょうか。


 大人からのの押し付けというのも、ほどほどがいいのかも知れません。


拍手[0回]

PR

逆上がり


 なかなかできなくて、ひどく困ったものです。

 この逆上がりができることこそが学校での最も重要なことのように思わせられたりもしたものです。


 単に体育の授業のひとつであったはずのことが、なぜか一番重要であることのように思わせられたものでした。


 他に縄跳びの二重跳びができるようになるとか、泳げるようになるとか、なぜかこうした運動系のことばかりが課題とされ、できるようなるよう夏休みなどの目標にするよう言われたものです。

 決してそれらの目標に学力的なことが選ばれることはありませんでした。

 学力は塾や生徒個人の環境により差がついてしまいます。


 教師にとってみればこうした目標の方が公平と思ったのかも知れません。
 


 コツがつかめた子はすぐに逆上がりができるようになりました。

 逆上がりができる子は運動ができるとか、体力的に優位であるかに関係がありませんでした。

 ただ、スッとできてしまったというだけです。


 できない子供はいつまでも悩ませられたものです。


 そのできない理由を考えたり、友人に手助けをしてもらったり、格闘しました。


 今から振り返ると、色んなことを考えたり、深く考えてしまうような子というのは逆上がりというのが苦手だったような気がします。

 できるようになるまで随分と時間がかかった記憶があります。



 当時、「何かできないこと、ひとつの目標を達成すること」、こういうことがよいことのように言われました。

 しかし、今から思えば教条的だというだけで、個人の得意分野を伸ばすということにはつながるものではありません。


 今の子供たちはどうなのでしょうか。

 今は補助版というものがあって、逆上がりのコツがすぐに習得できるようになっているようですが、それもどこか違う気がします。



 その後、歳をとって、公園で逆上がりをやってみたことがあります。

 もうすっかり忘れていたことですから、できるかは分かりませんでした。

 しかし信じられないぐらい簡単にでき、自分でも驚いたものです。

拍手[0回]





忍者ブログ [PR]

graphics by アンの小箱 * designed by Anne