なかなかできなくて、ひどく困ったものです。
この逆上がりができることこそが学校での最も重要なことのように思わせられたりもしたものです。
単に体育の授業のひとつであったはずのことが、なぜか一番重要であることのように思わせられたものでした。
他に縄跳びの二重跳びができるようになるとか、泳げるようになるとか、なぜかこうした運動系のことばかりが課題とされ、できるようなるよう夏休みなどの目標にするよう言われたものです。
決してそれらの目標に学力的なことが選ばれることはありませんでした。
学力は塾や生徒個人の環境により差がついてしまいます。
教師にとってみればこうした目標の方が公平と思ったのかも知れません。
コツがつかめた子はすぐに逆上がりができるようになりました。
逆上がりができる子は運動ができるとか、体力的に優位であるかに関係がありませんでした。
ただ、スッとできてしまったというだけです。
できない子供はいつまでも悩ませられたものです。
そのできない理由を考えたり、友人に手助けをしてもらったり、格闘しました。
今から振り返ると、色んなことを考えたり、深く考えてしまうような子というのは逆上がりというのが苦手だったような気がします。
できるようになるまで随分と時間がかかった記憶があります。
当時、「何かできないこと、ひとつの目標を達成すること」、こういうことがよいことのように言われました。
しかし、今から思えば教条的だというだけで、個人の得意分野を伸ばすということにはつながるものではありません。
今の子供たちはどうなのでしょうか。
今は補助版というものがあって、逆上がりのコツがすぐに習得できるようになっているようですが、それもどこか違う気がします。
その後、歳をとって、公園で逆上がりをやってみたことがあります。
もうすっかり忘れていたことですから、できるかは分かりませんでした。
しかし信じられないぐらい簡単にでき、自分でも驚いたものです。
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