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ジェンカ


 確かそういう名前だった。

 踊りだ。

 社交ダンスのようなものを教えられた。



テレビで話題の油性マジックが消えるシャワーミラブルplus

 みんな、特に男子は馬鹿にしていたが、実はみんな愉しみにしていたものだ。


 ダンス自体は面白いとは思わなかった。

 ただ、他人と触れ合うというのが面白かった。結局はそれは女子との触れ合いだった。

 そしてそれは授業だから渋々やらされるような言い訳が立った。



 交代になるので、気に入った女の子が回ってくると嬉しくてしょうがなかったものだ。



 女子はダンスとして楽しんでいたようだったが、ほとんどの男子は女子と触れ合えることに密かな愉しみを見出していたはずだ。


 好きな子、気になる子、それがダンスという授業の一貫で触れ合うことができた。




 女子というのはアヤトリとか、縄跳びとか、そういうお仕着せを嫌わない。

 教えられた振り付けを覚えることを楽しむ。

 男子はそういうことに関心がない。


 それでも男子がジェンカみたいなのを喜んでいたのは、女子との関係というのが大きかった。

 ほとんどの女子はそれに気が付いた人はいなかったと思う。

 あるいは本当は気が付いていて、知らん顔をしていただけかも知れない。



 女の子は子供の頃は特に男子よりも早熟だ。


 テレビの「赤い」シリーズなんて、男子には皆目面白さが分からなかったが、ほとんどの女子はそれを見ていた。

 男子ときたら怪獣モノ、ヒーローものだったのだから、その子供っぽさはわかるだろう。

 「ラブレターを送る」ということにしても、まず女子が始めたことだ。

 男子にはそういうことはさっぱりだったはずだ。


 


 

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給食


 給食はたいていの子供にとっては楽しいものだった。

 外から与えられる人生で初めてのものだったからそれを大いに楽しんだ。

 食うことをみなで共有する一体感もあったろう。




 ただ、一部で給食を苦痛としか感じない子供たちもいた。

 食事が細かったり、食べるのがゆっくりとした子供たちには給食の時間は苦痛でしかなかった。

 馬鹿な教師が早く食べるのを強要したり、最後まで食べるよう要求したからだ。


 彼らにとっては食事がトラウマにさえなった。


 我が国の同調圧力や、常に人と同じでなければならないという強迫観念は教育現場でもあった。

 これに疑問を感じずに育った子供は社会の歯車として生きることになった。


 こうした教育のやり方は誤りどころか愚かであり、それを強要した教師たちは実はちゃっかりと自分らだけの趣味嗜好を主張していたことからも欺瞞もいいところだった。

 教師の中には、そのまま給食を食うのが不満で、自分だけパンをトーストしてみたり、自分だけは温かなミルクを飲むような連中というのがいた。

 そのくせ食事を強要していたのは子供たちには明らかな嘘と映った。

 子供たちはそうした欺瞞を見ながら育った。



 だから、なかなか給食を食べられないで残されている子供をからかうような子供はいなかった。

 なぜ楽しいはずの給食で残され、無理やり食べさせられているのか、それはとても奇妙な光景に映った。




 かくも教師はクズであり、それが逆説的に教育になったのだと言える。

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