「書き取りの時間」という授業がありました。
国語の延長だった記憶がありますが、国語というと本を読んだり作文を書かせたり、その中で接続詞や指示語の使い方を学ぶものでした。
その上で論理性など身につけようとするものでした。
「書き取り」という授業は、独立した授業のように呼ばれていた気がします。
習字というのにしても、国語のひとつの授業だったでしょうが、子供たちは「習字の時間」と読んでいました。
書き取りというのは今から考えると不思議な気がします。
今はパソコンやスマホがありますから、わざわざペンで書いてみたり、「書き順」という、文字の書き方を覚えたりする授業があったというのは違和感があります。
今はペンを使うことが本当に少なくなりました。
それは今の時代から考えるからそう思うのですが。
この書き取りの授業では書き順というのが主に中心にありました。
しかしそうすると、他の理科や社会の授業などで横書きで答案を書かせたり教科書を読ませるというのとは矛盾したことになります。
日本語を縦書きにして書くからこそ書き順が大事になるのですし、日本語を早く書き流すということができるのですが、あまりこの統合には注意がされなかったように記憶しています。
日本語を横書きに書けばまったく違うものになります。
書き取りはペン字、見本を見ながら書き順に注意して写していったという授業でした。
習字と書き取りの整合性もあまり注意されなかったと思います。
このことは、私たちが小学校から使い始めた日本語が、当時、横書きへと移行していく只中にあったということがあります。
また、世間はB5からA4へ標準の用紙サイズが変わってゆく時でもありました。
習字の半紙はB5サイズでした。
やがて現在のように公文書はA4で統一され、様々な文書はA4になっていきます。
そうやって世間もは5からA4へ、縦書きから横書きへと変わってゆく最中でしたから、昭和の時代の小学校教育には横書きと縦書きが奇妙に混在することになってしまいました。
それはそのまま宙ぶらりんのまま現在へと続いています。
残念なことに、私も含めて古文書や石碑などが読めない人が多くいます。
今、太閤秀吉の手紙が新たに見つかったと言っても、私たちはなかなかそれを読めません。
当時の教育に文書標準の移行期につきものの、混乱した部分があったから中途半端になってしまい、読めなくなってしまったのす。
今、「古文書を読む」ということになれば、改めて訓練が必要になってくるはずです。
横書きと縦書きはしっかり分けて、まず縦書きと書き順のきちんとした訓練をすべきでした。
英語圏の若い人々が、今では筆記体がほとんど書けなくなってしまっているのと同じことです。
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