東京の上野動物園にパンダが来ることになりました。
1972年、昭和47年のことです。
確か中国との国交回復、国交正常化に関して中国から贈られ来ることになりました。
名前はランランとカンカン。
パンダの名前は公募ではなかったと思います。
雄雌ペアのパンダで、ベビー誕生も期待され、あっという間に日本中がパンダブームに沸きました。
動物園で公開が決まると連日長蛇の列をなして観客が押し寄せました。
あまりの観客の多さにパンダにストレスがかかってしまうという話もあったほどです。
脚を投げ出して竹をかじる姿は可愛らしいと人気になりました。
パンダのヌイグルミや雑誌の特集、小さなマスコットアイテム、当時のパンダブームは何でもパンダに結びつけるような風潮でした。
それはちょっと今のコロナと同じような騒ぎだったと記憶しています。
見に行った子供たちは、「顔が見えなかった」とか、僅かの時間しか見れず、長い行列を作ったのにほんの何秒しか見れなかったなんて話でした。
学校もこうした流行に影響を受けました。
パンダを絵に描かせてみたり、作文を書かせてみたり、何かしらパンダにからんだことが授業に取り上げられました。
修学旅行先が上野動物園になったりした学校もありました。
昔は、学校がよく動物園に子供たちを連れて行きました。
全国各地の都道府県に動物園があったのもそういう需要があったためだと思います。
生きた動物という教材として、動物に触れる情操教育を考えていてたのだと思います。
その後、コアラブームというのもありましたが、動物園があれだけ繁盛したというのもなかなかないことです。
リンリン・ランランというアイドル歌手がいたのもこの頃でしょう(笑)
「リンリン・ランラン 竜園♪ リンリン・ランラン 竜園♪ 竜園行って幸せ食べよ♪ 」
そんなコマーシャルがありました。
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