忍者ブログ
広告



宅配無料
レンタルベビーカーサービス

シェアno1のコンビ製品
ad
プライバシーポリシー

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

幼稚園と保育園


 小学生ともなると保育園や幼稚園などは格下に感じます。

 だから保育園などでバザーなんかのイベントがあったりすると、子供のくせに偉そうな感じで出かけていきました。

 その点、幼稚園というのは小学生にとっては「違う学校」のようなもので、あまり開かれてはいなかった覚えがあります。


 幼稚園は躾けられたり、行儀よくさせられる。歌を覚えさせられたりする。叱られたりする。

 保育園は甘えさせてくれたり、寝かしつけてくれたりオヤツが出たりする。キレイな若い保育士がいます。
 
 幼稚園のセンセイはお婆さんが多い。


 保育園と幼稚園は運営のカテゴリーが違うものです。

 今はこの区別について雰囲気は変わったかもしれませんが、昔はなんとなく区別がありました。


 幼稚園の管轄は文科省、保育園は厚労省です。

 幼稚園はその後の小学校へ進む準備とされていて、幼稚園ではカリキュラムとか学習に近いことがされていました。

 少し学習塾のような感じ。


 保育園というのは子供を預ける施設。親が働いている子供というイメージです。

 保育園はベビーシッターです。




 小学校に上がると、義務教育ですからみなが同じスタートラインに立つわけですが、「私は保育園だったから」なんて、女子がちょっと申し訳なさそうに言い訳するような子がいたりして、不思議な感じがしました。

 みんなどちらかしか通っていないのですから、自分の知らない世界を想像することは子供には難しかった。


 しかし親なんかを通じて、保育園と幼稚園に違いがあることは一部では認識されていたのかも知れません。


 男子でも保育園に預けられていた子供もいたでしょうが、自分で保育園出身と言う子供は聞いたことがありません。

 幼稚園を出た子はまるで「母校」のように話す子が多かった。



 幼稚園は小学校に上がっていきなりとまどわないように慣れる効果があったかも知れません。

 しかし考えてみれば、小学校は全てにおいて新しいことですからその必要はなかったのです。


 子供たち自身は、その出身による差について特に思うことはありませんでした。

 都会でも家が商売なんかをしていて、どちらにも通わなかった子供もいましたし、あまり小学校以前の育ち方の違いについて子供たちが認識することはなかったと思います。


 子供たちはまだお互いというものをよく理解できず、これから他人のことを理解しようとする時期でしたから。


 幼稚園と保育園という出身の違いについて、影響を考えることもできるかも知れませんが、その後のことを考えればあまりに小さなことに思えます。


 それぞれの出身によって育ち方がどう違ってくるかは、説としてもあまり聞いたことはありません。

拍手[0回]

PR

お弁当の日


 遠足にでも行かなければ弁当など普段は食べることはなかった。

 給食があるものだから自分の親も金をもたせるぐらいだった。





 ただ、時々、給食が休みになるときがあった。

 きっと親にも子供の弁当ぐらい作らせたい、ということだったのかも知れなかったが、日教組とかのデモとかストライキなどもあった頃だから、そっちが本当の理由だったかもしれない。


 それが弁当の日だった。

 この弁当というのが、各家庭の特徴がよく出ていて、面白かったものだ。


 ある男の子が、サラダのようなものを持ってきて、真っ赤なドレッシングのようなものを振ってかけて食べていた。弁当というにはご大層な準備のかかったものだった。



 それをみんなが、何だろうと思ったものだ。


 それがキムチドレッシングというものであるらしく、みんながそれを知るにいたり、キムチというと朝鮮だというのでザワついたものだ。


 山口百恵が「蒼い時」という自伝を出した頃で、一気に朝鮮人というものが目立つようになった頃だった。



 ちょっと前から彼の家が大きなことは知られていて、サラ金、金貸しでもやっていたのか、とにかく彼はクラスでも大いに浮いてしまっていたものだ。


 民族のものを平然と持たせること、ああいう神経というのは、今からすればとんでもない。

 その場ではないのに、何かの主張をいきなりしようとする。


 思えば彼とは誰も深い付き合いをせず、いつしかどこかへ転校して消えていった。




 小学校低学年となるとまだ純粋で、それぞれ弁当の中身を見せ合ったりした。分け合ったり交換し合ったりした連中もいた。

 豊かさ、愛情、家族構成などが透けて見えたものだ。

 見物するだけでも楽しいものがあった。


 今よりも質素でノリ弁だのシャケ弁だのが多かった。

 キャラ弁などなかったし、鳥のから揚げを交換するとかそんなもの。


 一番の工夫だと思ったのは、弁当なのに汁を持たせられた子供がいて、感心したことだ。

 汁など冷めたりもれたりするのに、魔法瓶か何かに入れて持ってきていて、みんながその家庭の工夫と汁を弁当で飲める贅沢を羨ましく思った。



 そうして、いつも手の込んだ弁当を持ってくる子は注目を自然に浴びるようになったりして、みんなが中身を見たがった。

 一度ならず、弁当のふたを開けてみんなが巡回して見る、みたいなことになったりもした。

 その時は変態教師がいず、生徒たちだけで弁当を食っていた日だった。


 さすがに点数まではつけなかったが、他の学校などではそういう子供たちもいたと聞く。


 中学生なんかになればもうそれはしない。

 人に家庭の味など知られるなんて、嫌がるようになるものだ。


 中学生にでもなると、いつの間にかほとんどの連中が手や蓋で隠すようにして弁当を食うようになったもんだから、不思議でならなかったことがあった。


拍手[0回]



忍者ブログ [PR]

graphics by アンの小箱 * designed by Anne