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縦笛(リコーダー)

学校でやらせられた最初の楽器は、確かカスタネットだった気がします。

 音楽の授業でやりました。

 みんなで拍手をするように音を合わせるようなことをしました。

 それは幼稚園の頃にもやった気がします。




 考えてみれば、「何かを使って音を出す」ということは、最初は教えられなければなかなかできないことだったかも知れません。

 子供はクチ真似をして自動車やジェット機、怪獣の声を真似しますが、それは「楽器」というものとはまるで違います。


 二拍子三拍子、こういうことは教えられねばいけないものなのでしょう。


 忘れてしまったり、大人になって塗り替えられたことが多い中で、子供の頃に教えられた音楽の基礎というのはいつまでも忘れないものです。


 音を道具で出すことを実感し、現実の感覚として覚えることというのは、教育としてはとても意味があったことなのだと、今は思います。


 当時は音楽などの授業は軽く考えていたのでしたが。





 そして音楽の授業で縦笛、リコーダーをやるようになりました。

 学校側が一括して購入し、みんな買わせられた覚えがあります。



 この縦笛というのが女子は特に大好きで、たいていの女子がみるみるうちに上手に吹けるようになってゆきました。


 これに対し、男子はほとんどの子供たちがうまくできなくて、そのうちチャンバラなんかで遊んでしまったりする。

 
 男の子はすぐに飽きてしまいました。



 せいぜい音楽の時間、教えられたパートのところを覚えるぐらいです。

 たいていの男子は指遣いが器用にできませんでした。



 男子は笛はランドセルの横にカタナのように挿して通学をしていたものです。

 女子はというと、リコーダーをとても楽しんでいて、そのせいか親なんかに専用の袋まで作ってもらったりしていました。



 そして学校帰りに友達と歩きながら吹いたりして。

 笛に関して女子はとても楽しそうでした。


 子供の頃は女子の方が男子よりも成長が早く、笛の習得などにあるように、男子は女子においてきぼりにされた気がしたものです。


 「早生まれ」「遅生まれ」などという、一種のハンデがあるという話。

 それが原因のように言われたのも、そんな女子と男子の成長の差が目立つようになった頃によく聞いた話です。

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沖縄と沖縄海洋博覧会


 沖縄が日本に返還され、沖縄への旅行がブームになりました。


 それまで、戦後アメリカの統治下におかれた沖縄への旅行は、戦争を知らない若い世代にとっては外国でした。


 そして沖縄に行って帰ってきた人は、みなステーキ用の肉や缶詰などが安いことや安い酒、アメリカの雰囲気をお土産にして、帰ってきたものです。


 自動車の通行すら日本とは逆で、流通しているお金もドル。

 沖縄は身近なアメリカとして人気でした。

 沖縄の日本への復帰運動が盛んになると、沖縄のニュースも増えるようになりました。

 以前から問題になっていた、沖縄でのヤクザの縄張り争いと抗争も世間の知られるところとなりました。
 それは大いに映画となり、仁義なきシリーズなどとしてヒットし、スクリーンを沸かしたものでした。



 毎年のように離島や諸島が少しずつ日本に返還されてゆきました。

 そしていよいよ、アメリカから沖縄は正式な日本の一部として返還され、沖縄は日本国としての主権を回復したのでした。



 これまで、パスポートこそ必要ではありませんでしたが、手続きが必要で、パスポートのような許可証を携えて旅行する必要があった沖縄旅行でした。
 それが、日本国の一部として旅行することが自由になったのです。

 これまでの制限が解禁されたのでした。

 解禁と同時に多くの人々が沖縄を訪れました。新婚旅行先にもよくなりました。

 教師が新婚旅行の行き先にしたことを覚えています。


 そして目玉として沖縄海洋博覧会の開催が決定されます。

 海上に浮かぶ夢のようなケーソン状の建物が建設され、それは前評判から話題になりました。沖縄は好景気に沸いたと思います。


 そうした中、開催された海洋博にいち早く出かけた子供たちもいました。


 夏休みが終わると海洋博に行ってきた子供が現れました。

 そんな子供の周囲には他のクラスからも子供たちが集まって、沖縄はどんなところなのか、海洋博はどうだったかと質問攻めになったものです。

 海洋博はあまりパッとしなかったようですが、パンフレットなどを見せてもらうだけでみな感激したものです。


 世間では海洋博はあまり人気がなかったようですが、子供たちの間では、盛り上がりだけはあったと思います。


 新幹線に乗ったことのない子供もクラスメートにそこそこいた時代でしたから、沖縄旅行というのはとても遠くに感じたものでした。



 そんな中で社会科の授業は大いに盛り上がりました。

 日本地図を開くと沖縄は随分と近くの印象を受けます。

 実際は海を省略していたのですが、子供たちは沖縄を近くに感じたものでした。



 その後、つくば科学博覧会が開かれましたが、あそこまでのものはなかったように思います。

 博覧会は、大阪万博、沖縄海洋博、つくば科学博、そして愛知花博へと、現代に至るまで続きました。

 しかし沖縄の海洋博覧会が結果としてあまりパッとせず、そこからはこの種の博覧会は急速に盛り上がりに欠けるようになっていったと思います。



 やがてオリンピックも同じようになるのでしょう。

 今回のコロナと延期をきっかけにして、そうなってゆく予感がします。



 その次の時代に何があるのか、興味は尽きません。

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