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沖縄と沖縄海洋博覧会


 沖縄が日本に返還され、沖縄への旅行がブームになりました。


 それまで、戦後アメリカの統治下におかれた沖縄への旅行は、戦争を知らない若い世代にとっては外国でした。


 そして沖縄に行って帰ってきた人は、みなステーキ用の肉や缶詰などが安いことや安い酒、アメリカの雰囲気をお土産にして、帰ってきたものです。


 自動車の通行すら日本とは逆で、流通しているお金もドル。

 沖縄は身近なアメリカとして人気でした。

 沖縄の日本への復帰運動が盛んになると、沖縄のニュースも増えるようになりました。

 以前から問題になっていた、沖縄でのヤクザの縄張り争いと抗争も世間の知られるところとなりました。
 それは大いに映画となり、仁義なきシリーズなどとしてヒットし、スクリーンを沸かしたものでした。



 毎年のように離島や諸島が少しずつ日本に返還されてゆきました。

 そしていよいよ、アメリカから沖縄は正式な日本の一部として返還され、沖縄は日本国としての主権を回復したのでした。



 これまで、パスポートこそ必要ではありませんでしたが、手続きが必要で、パスポートのような許可証を携えて旅行する必要があった沖縄旅行でした。
 それが、日本国の一部として旅行することが自由になったのです。

 これまでの制限が解禁されたのでした。

 解禁と同時に多くの人々が沖縄を訪れました。新婚旅行先にもよくなりました。

 教師が新婚旅行の行き先にしたことを覚えています。


 そして目玉として沖縄海洋博覧会の開催が決定されます。

 海上に浮かぶ夢のようなケーソン状の建物が建設され、それは前評判から話題になりました。沖縄は好景気に沸いたと思います。


 そうした中、開催された海洋博にいち早く出かけた子供たちもいました。


 夏休みが終わると海洋博に行ってきた子供が現れました。

 そんな子供の周囲には他のクラスからも子供たちが集まって、沖縄はどんなところなのか、海洋博はどうだったかと質問攻めになったものです。

 海洋博はあまりパッとしなかったようですが、パンフレットなどを見せてもらうだけでみな感激したものです。


 世間では海洋博はあまり人気がなかったようですが、子供たちの間では、盛り上がりだけはあったと思います。


 新幹線に乗ったことのない子供もクラスメートにそこそこいた時代でしたから、沖縄旅行というのはとても遠くに感じたものでした。



 そんな中で社会科の授業は大いに盛り上がりました。

 日本地図を開くと沖縄は随分と近くの印象を受けます。

 実際は海を省略していたのですが、子供たちは沖縄を近くに感じたものでした。



 その後、つくば科学博覧会が開かれましたが、あそこまでのものはなかったように思います。

 博覧会は、大阪万博、沖縄海洋博、つくば科学博、そして愛知花博へと、現代に至るまで続きました。

 しかし沖縄の海洋博覧会が結果としてあまりパッとせず、そこからはこの種の博覧会は急速に盛り上がりに欠けるようになっていったと思います。



 やがてオリンピックも同じようになるのでしょう。

 今回のコロナと延期をきっかけにして、そうなってゆく予感がします。



 その次の時代に何があるのか、興味は尽きません。

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