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貧血で倒れるコ


 思えば、昭和の頃、毎日々、校長先生の訓示はとても長いものでした。

 朝礼の時間、晴れていれば校庭に全生徒を集め、校長が何かの訓示をしたのです。


 飽きもせずよくやったものでしたが、どんな話だったか、私にはとんと覚えがありません。

 まるで修行僧のようにきちんと立って正面を見つめ、じっとしていることに集中した時間でした。

 
 怖れるに足りないぞ、こちらは微塵も動かないでやろう。

 よく見てみろとばかりに、私は動かないようにしていました。

 フラフラしていたりする連中がいて、しっかり気をつけなんて、注意されたりしたものです。

 私はその中、背中が痛くなるまでキヲツケをし、じっとしていました。


 時々、後ろの方で誰がが倒れこむ音がしたものです。

 あるいは少し前の方にいる背の小さい子、女の子なんかが倒れこみました。


 貧血ということで、倒れるのですが、なんともか弱い感じで座り込みます。

 バタりとなんかではありません。



 おしとやかに校庭にフラフラと座り込みます。

 なよっとした感じで、実にかよわく倒れた。

 あれは自分からすれば素敵に思えた。


 すると先生たちがさっと寄ってきて、その女の子を抱えて医務室に連れていきます。

 校長の方は校長で、これに視線を送ったりしますがまるで意に介さない。

 そのまま話を続けている。


 所定の時間というのがあったのか、ご自分のスピーチに酔っていたのか。

 私は敵ながらあっぱれと思っていました。


 ああいう冷血さというのはシビれました。


 私たち子供は、こんな校長の長い訓示ぐらいでくじける人間ではあってはならない。

 私にはそんな教えに思えたものです。





 ベルが鳴り、解散する時はてんでバラバラに校舎に戻ってゆきます。

 あれは何かダラしがないものを感じましたけれども。

 
 校長はひな壇を降りながら、背中で非難を受け止めているような様子は全くありません。

 小学生のような虫のような存在など、校長には考える余地もなかったのです。

 今はどんな朝礼の風景なのか、私は知りませんけれども。



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ドリフターズの志村けん


 私の子供時代は、まだ荒井注がドリフのメインメンバーで、志村けんは見習いという立ち位置でした。

 たまに舞台のコントに参加しててくるゲスト程度の役割でした。


 荒井が役者へ転進を希望して脱退し、その代わりにいかりやに見出されたのが志村だったと私は記憶しています。

 もともと志村がドリフの付き人だったという話も当時の子供たちはみな知っていました。



 志村が起用され、番組でもぐんぐんと頭角を現すようになると、やがて加藤か志村派かなんていう議論も子供たちの間で起きました。

 その才能と突然に躍り出てきた存在感は私たち子供にとっても驚くものがありました。

 面白かったのです。



 
 すわしんじという人もいました。

 志村が彼をどう思っていたかは分かりません。

 ただ、彼もやはり昔の志村のようにちょっとずつコントに顔を出すようになりました。

 そのことで、いよいよ志村という人は途中で登用された人という印象が強くなりました。



 もし、すわに才能があれば、また彼も取り立てられるということがわかったからです。


 そういう実力の世界と、加藤のようなメインのメンバーとして可愛がられてきた立場、子供たちにはそれが分かりました。



 オナラだのウンコだの、子供らしい下品さを喜びながら、学校などで直接ドリフの話題をすることはあまりありませんでした。
 みなが昨日の全員集合を見ていたのですから、そんなことが話題になるはずはありませんでした。

 これも今のように同調圧力の強い世の中とは違うところだと思います。


 子供たちはそういう下品な真似をしているだけと大人たちは思っていたようですが、ドリフをそういう身近なものとして感じながら、あの業界をひとつの例にして、物事の栄枯盛衰というものをみなが学ぶキッカケにはなっていたのです。

 出世や、才能が評価されること、そのいい参考になることだったのです。



 だからそうした前提の上で、もともと叩き上げの加藤を主流として考えたほうがいいと思うのか、それとも途中で起用された志村をいいと思うのか、そんな議論が子供たちの間にはあったのです。


 他にも、

 三人娘の中で誰がいい?

 キャンディーズの中で誰がいい?

 そんな話がよくされました。


 誰がいいというのは今のように、「誰が好き」という、好き嫌いの好みの話ではありません。

 誰を中心と考えるべきなのか、誰に華があり、誰がトップなのか、そういうことを考える例題なのでした。

 そうして、当時の子供たちは、人を見る自分なりのやり方を覚えたのです。



 誰が活躍することがそのグループや全体にとっていいのか、誰を中心に考えるべきなのかということです。

 そういう、世の中の潮流や移り変わりが見定められるということは、生きてゆくのにとても重要なことです。


 パソコンもなく携帯もない時代、現在の世の中からすれば、ずっと子供っぽく見える昔の子供たちですが、実際には今の子供よりもずっと深いところ、人生訓を身近に感じながら育っていたのです。




 コメディアンとして、その仕事がとても好きだった人と思っています。



 ひっそりと、ここにお悔やみを申し上げます。

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