思えば、昭和の頃、毎日々、校長先生の訓示はとても長いものでした。
朝礼の時間、晴れていれば校庭に全生徒を集め、校長が何かの訓示をしたのです。
飽きもせずよくやったものでしたが、どんな話だったか、私にはとんと覚えがありません。
まるで修行僧のようにきちんと立って正面を見つめ、じっとしていることに集中した時間でした。
怖れるに足りないぞ、こちらは微塵も動かないでやろう。
よく見てみろとばかりに、私は動かないようにしていました。
フラフラしていたりする連中がいて、しっかり気をつけなんて、注意されたりしたものです。
私はその中、背中が痛くなるまでキヲツケをし、じっとしていました。
時々、後ろの方で誰がが倒れこむ音がしたものです。
あるいは少し前の方にいる背の小さい子、女の子なんかが倒れこみました。
貧血ということで、倒れるのですが、なんともか弱い感じで座り込みます。
バタりとなんかではありません。
おしとやかに校庭にフラフラと座り込みます。
なよっとした感じで、実にかよわく倒れた。
あれは自分からすれば素敵に思えた。
すると先生たちがさっと寄ってきて、その女の子を抱えて医務室に連れていきます。
校長の方は校長で、これに視線を送ったりしますがまるで意に介さない。
そのまま話を続けている。
所定の時間というのがあったのか、ご自分のスピーチに酔っていたのか。
私は敵ながらあっぱれと思っていました。
ああいう冷血さというのはシビれました。
私たち子供は、こんな校長の長い訓示ぐらいでくじける人間ではあってはならない。
私にはそんな教えに思えたものです。
ベルが鳴り、解散する時はてんでバラバラに校舎に戻ってゆきます。
あれは何かダラしがないものを感じましたけれども。
校長はひな壇を降りながら、背中で非難を受け止めているような様子は全くありません。
小学生のような虫のような存在など、校長には考える余地もなかったのです。
今はどんな朝礼の風景なのか、私は知りませんけれども。
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