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ドリフターズの志村けん


 私の子供時代は、まだ荒井注がドリフのメインメンバーで、志村けんは見習いという立ち位置でした。

 たまに舞台のコントに参加しててくるゲスト程度の役割でした。


 荒井が役者へ転進を希望して脱退し、その代わりにいかりやに見出されたのが志村だったと私は記憶しています。

 もともと志村がドリフの付き人だったという話も当時の子供たちはみな知っていました。



 志村が起用され、番組でもぐんぐんと頭角を現すようになると、やがて加藤か志村派かなんていう議論も子供たちの間で起きました。

 その才能と突然に躍り出てきた存在感は私たち子供にとっても驚くものがありました。

 面白かったのです。



 
 すわしんじという人もいました。

 志村が彼をどう思っていたかは分かりません。

 ただ、彼もやはり昔の志村のようにちょっとずつコントに顔を出すようになりました。

 そのことで、いよいよ志村という人は途中で登用された人という印象が強くなりました。



 もし、すわに才能があれば、また彼も取り立てられるということがわかったからです。


 そういう実力の世界と、加藤のようなメインのメンバーとして可愛がられてきた立場、子供たちにはそれが分かりました。



 オナラだのウンコだの、子供らしい下品さを喜びながら、学校などで直接ドリフの話題をすることはあまりありませんでした。
 みなが昨日の全員集合を見ていたのですから、そんなことが話題になるはずはありませんでした。

 これも今のように同調圧力の強い世の中とは違うところだと思います。


 子供たちはそういう下品な真似をしているだけと大人たちは思っていたようですが、ドリフをそういう身近なものとして感じながら、あの業界をひとつの例にして、物事の栄枯盛衰というものをみなが学ぶキッカケにはなっていたのです。

 出世や、才能が評価されること、そのいい参考になることだったのです。



 だからそうした前提の上で、もともと叩き上げの加藤を主流として考えたほうがいいと思うのか、それとも途中で起用された志村をいいと思うのか、そんな議論が子供たちの間にはあったのです。


 他にも、

 三人娘の中で誰がいい?

 キャンディーズの中で誰がいい?

 そんな話がよくされました。


 誰がいいというのは今のように、「誰が好き」という、好き嫌いの好みの話ではありません。

 誰を中心と考えるべきなのか、誰に華があり、誰がトップなのか、そういうことを考える例題なのでした。

 そうして、当時の子供たちは、人を見る自分なりのやり方を覚えたのです。



 誰が活躍することがそのグループや全体にとっていいのか、誰を中心に考えるべきなのかということです。

 そういう、世の中の潮流や移り変わりが見定められるということは、生きてゆくのにとても重要なことです。


 パソコンもなく携帯もない時代、現在の世の中からすれば、ずっと子供っぽく見える昔の子供たちですが、実際には今の子供よりもずっと深いところ、人生訓を身近に感じながら育っていたのです。




 コメディアンとして、その仕事がとても好きだった人と思っています。



 ひっそりと、ここにお悔やみを申し上げます。

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