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志村けん がコロナでなくなりました。
思えば子供の頃、ドリフは随分と見ていた記憶がありますが、実際には志村けんの記憶はそれほどではなかったかもしれません。
やはり覚えていることといったら、いかりや長助のリーダーシップだったでしょうか。
ドリフというのは、その頃の子供たちにとっては、子供たちに寄り添ってくれる存在でした。
テレビ的にはこれに対抗する存在として、コント55号というのやゲバゲバ60分とか、林家三平とか、そんなものがありましたが、ああしたものはどこか大人向きのところがあって、子供としては、素直にドリフをいいと思ったものです。
下品で、下世話な子供だけが面白がるもの。
くだらなくて、大人にはわからないもの。
それがドリフのよさでした。
ドリフに、PTAが文句をつけたというのも、当時の子供は知っていて、そういう、どこかの狂った親たちが自分たちの自由を縛る敵だというのさえ、当時の子供たちの意識としてはあったのだと思います。
しかし今思えば、不思議なことですが、私たちは翌日のドリフの内容について話し合ったことはありませんでした。
みんなが見ていたのですから、それを話題にするのもはばかれたのでしょうか。
少なくとも、私たちはドリフの志村や、荒井注、高木ブーなんかのキャラクター、その役割について話したことはありましたが、昨日のオチがどうだったか、昨日のコントがどうだったとか、そんな話をした覚えがありません。
今はそういう話を若い人はするのだそうです。
ドリフは確か金曜日の夜の8時にやっていてほとんどが生放送でした。
その翌日、土曜日にも昔は学校がありましたから、私たちはその番組の内容について、話す機会はあったはずです。
しかし、誰もが見ていたドリフの昨日の番組を、わざわざ取り沙汰した者はいなかったのです。
その後、深夜放送が流行り、昨晩の深夜放送の内容がどんなだったかが話されるようになります。
誰がなんと言っていたか、中島みゆきは昨晩は面白くてこんなことを言っていたよね、と。
聞いていた二人がわざわざそのことを口にするのはおかしいと私は思った。
私にはそのようなよもや話というのは、とても違和感がありました。
どこかに断絶があった気がしてなりません。
「ドリフは生だった」というのは、それこそ、今思えば大きなことだったのかも知れません。
生なので見逃したということはもう二度と見られないということになります。
まだテレビの録画には時代は早かった。
だから見逃したコに配慮もあった。
観ていれば内容などはお互いに知っている。
だからどんなコントだったかなんて話さない。
その頃の時間を共有する感覚というのは、特別なものがあるかも知れません。
今ならタイムシフト、それで共有しないものを共有してしまいます。