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幼馴染


 思い出せばその子の家は金持ちだったと思う。

 幼馴染と言えばその子が私にとってはそうだ。

 まだ子供の頃から歯の矯正をしていたからそんな気はした。

 牛乳瓶の底のような眼鏡をかけ、やや虚弱な感じだが決して弱々しい感じではなかった。


 稽古事もよくやっていたようだった。


 入学の時からずっと側にいた子で、お互いに越境入学で遠い距離を通学していた。

 最初は同じ帰り道の方向ということでエスコートするように言われたのが始まりだったと思う。




 いつも学校帰りにはバアヤが迎えに来ていて、私も一緒に帰ることがあった。


 矯正していたこともあり、お世辞にも可愛いとは思えなかったがよく懐いてくれた。


 帰り道、そのバアヤに豪勢な食事をご馳走になったこともあった。

 内緒だと言ってたらふくメシを御馳走になった。

 私は遠慮なしにいただいたものだが、その子はおっとりとして、ニコニコ笑って私が食べる様子を見守っていた。


 とても優しいものを感じて照れくさかった。



 同級生、同じクラスになったのは一度だけだったが、それでもクラスが別になってもよく懐いてくれた。

 走り回る私をそっと陰からみていて、時々私はたしなめられた。


 まるで私がおかしなことをしないよう見守っている、そんなところのある女の子だった。


 私は子供の頃から異性を追い掛け回し、大人の世界にクビを突っ込んだ。

 毎日が忙しく、彼女とも疎遠になった。


 それでも、彼女はいつも育ちの良さそうな感じで通学をしてきては、帰り道に私を誘うのだった。


 今、思い出しても痛々しいほど尽くしてくれるようなところがあった。

 そんな雰囲気がある女の子だった。

 もっと相手にしてあげてもよかったとは思う。


 申し訳ないとつくづく思っている。



 私にとっての幼馴染というのはその程度だが、世間的には学校に入る前からよく知っている「異性」というのがいて、それを幼馴染などと言う。

 そこは必ず異性というところがミソで、同じ男同士、女同士はあまりそういう言われ方をしない。


 おそらく「幼な妻」とかそんな語感からきているのだろう。

 同姓同士なら「昔からの同級生」などといわれるだけだ。


 もしかすると一緒に育ってゆくうちによくお互いを知り、そのまま結婚などの可能性があるからそんな言い方をするのかも知れない。


 そこには何か運命に期待するようなところがある。

 よく知っているもの同士ならお互いを支えることができるのだ、と。



 しかし子供の頃の異性の趣味というのは大人とはまるで違うものだ。

 自分の目が違っていたと思うぐらい、子供の頃の好みは今ではあり得ない。


 子供の頃に可愛いと思っていた子も、肥えた大人の目線からすればどうしようもなかったりする。



 幼馴染はそんな色眼鏡を越える。

 そのままうまく縁が続けば、いつかは結ばれるかも知れない。

 そういうところがあるのだろう。





 たいていはそんな風にはゆかないだろうが、まれに上手くいって幸せな人生を歩んでいる人もいる。


 また、幼馴染の夫婦が離婚したということも聞かない。

 生涯を添い遂げられるという幸運があるのだと思う。


 つがいが幼少の頃からできているなんて幸運なことだ。

 つかず離れず、ケンカしたり仲直りしたり、お互いに歩むというのはとてもいいことだ。

 長い一緒の時間が、その後の人生においても役に立つことだろう。




 あいにく私のような人間はそうした付き合いはなかった。

 人生は常に不安定で、青春は危険なものを常に好んだ。


 そして何よりも大人たちを軽蔑した。


 だから、なおさら、「幼馴染」なんて大人たちから言われるのを私は嫌がった。


 早くから自分で生きてゆきたいと思っていたので、お仕着せは我慢がならなかった。

 「許嫁」という言葉もあるように女の子はそうしたお仕着せを嫌わないのかも知れない。


 依存したり、見守ったり、とても優しい気持ちのまま生きていたのだろうと思う。





 私はそうしたものを拒絶した。

 今の無様な人生はその恨みという他はないが、そこに後悔はない。


 それに、そうは言ってもそんな昔の子と再会してみたいかと言われればそれはない。


 お互いに残酷な運命というものの下に生きているのだ。

 私はその種明かしを見たいとは思わない。


 後悔などはない。

 ただ、申し訳ないところがあった、そう思うだけだ。



 幼馴染との人生を送らなかった男はみなそう思っているのではないか。

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こっくりさん

日本全国の小学校でこっくりさんが流行したことがあった。

 特に女子などが教室の片隅でやっていたという記憶がある。


 彼女たちはまさに怖いもの見たさで、紙に「あいうえを」などを書き、そして準備をしながらキャアキャアとやっていた。

 それから実際にやったかというと、実はそこまでww。


 真剣にやっていたというのは見たことがない。


 そのうち、感化された女子のひとりが「降霊会をやろう」などと言っていたが、結局はやらなかったようだ。


 そういうスピリチュアルなことに関心を持つ女子と言うのはいたけれども、男子というのはあまり関わらなかった記憶がある。



 当時、こっくりさんの噂というのは全国であちこちで流れていた。

 やれ子供がキツネに憑依されてしまっただの、狂ってしまっただのと出処の分からない根拠のない話が囁かれた。

 それは「口割けオンナ」のちょっと前のことだったから、似たような流言伝播のメカニズム、その素地がすでにあったのだとし言える。



 それで死人が出て学校で禁止になっただのと、まことしやかな話が流布された。

 雑誌などにもそんな話が載ったが、実際にそんなケースがあったのかは真偽は分からない。




 「こっくりさん」というのは、ある種の自己催眠のようなものだったと思う。

 不用意にそんなものに触れる必要もないと、たいてい、特に男子などは横目で眺めるだけだった。


 
 しかしこういう霊的なことを子供が関心を持つのは理屈から考えれば不思議なことだ。

 幼い子供というのはそれほど魂や死後について考えることはないだろうから。



 しかしなぜか、特に女子と言うのはそういうものにこだわったものだ。

 怪談話やホラー、ミステリではなく、霊的なことというのは哲学的なものでもある。


 暫くして訪れるはずの「初潮」というオンナの不思議、その目覚めを予期して、そんな運命的なことに感じ入ったのだろうか。




 昭和の時代、その中期というのは、子供たちがそんな死や霊的なものに傾倒した時代でもあった。


 不思議な事件や現象、UFOすら大きな話題になった。

 特定の学校でそんなUFO騒ぎがあり、学校が話題にするのを禁止したというのを聞いた記憶がある。

 
 子供たちが自由になりそれを日和見的な教師たちが押さえつけようとした。


 イジメなどの現在の事件というのはもはや教師たちの日和見主義の告発でしかない。

 長い間かかって、子供たちは正義を得たのかも知れない。




 昭和の時代、昔のことだ。

 終戦直後のように子供たちが野原を駆け回っていたわけではないだろうが、今のようにテレビゲームや娯楽に事欠かなかったというわけでもない。

 
 子供たちは不思議なことが大好きだ。


 もし僅かでも彼らの興味が科学的なことに傾けば、彼らみんながエジソンになることさえ可能だったに違いがない。



 スティーブジョブスやウォズニアック、そしてビルゲイツらがそんな興味から成功したというのは別に不思議なことでもなんでもないと思う。


 スピリチュアルなことは我々の理解を超えたものだ。

 それを理解しようとする興味はやがて自らの限界を越える。

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