焼き芋売りというのは昭和の昔からの典型的なモノ売り商売です。
大きな大八車を改造して引いて売っていました。
「大八車」というのは今で言えばリヤカーでしょうか。
オヤジさんがそれを引いて売っていました。
リヤカーは薪をくべて火を燃やすようになっていて、その鉄板の上には石が敷き詰められていました。
たいていは黒い石でした。
きっと那智なんかの「黒石」で、遠赤外線効果があったのでしょう。
つい最近まで、こうした薪は都市部では割とたやすく手に入るものでした。
木造家屋を解体すると柱や梁なんかが廃棄物として出ます。
昭和の成長期、スクラップアンドビルドの波が都市部をすっかり変えてゆきました。
その解体、建て替えなどで多くの木の端材が出たのです。
街の銭湯、お風呂屋さんでも、ごく最近までそうした木材を仕入れて燃やしていました。
焼き芋屋さんはリヤカーの下で薪をくべ、焼き芋を作りながら引いて売ります。
そのリヤカーには小さな煙突がくっついていて、煙を少しだけ上に出していたことを思い出します。
リヤカーから出る煙は人々の行き交う街の少し上を漂って秋の空へと消えてゆきました。
たいてい初老のオヤジさんがリヤカーを引きながら声を張り上げ、芋を売り歩いていました。
「石ぃーしぃーいいぃ、
やぁぁああーきーいーもぉぉぉぉ。 おイモ!」
なんて名調子でした。
よく通る声を出して街角を引いて売っていたものです。
焼き芋の皮が焼ける匂いがして、かすかに焦げる匂いとともに焼き芋屋さんがどこかでリヤカーを引いているのが分かります。
秋になると街角にはそんな匂いが漂ったのでした。
昭和の懐かしい風景です。
そんな風に焼き芋屋さんのリヤカーが目立つ時期というのは、秋口から冬へと移る頃でした。
その頃はストーブやコタツが恋しい季節です。
リヤカーの下にかがんで、くべた薪をひっくり返して、時々、焼き芋屋さんはリヤカーを止めます。
パチパチ弾ける薪に音をかすかにさせながら、オヤジさんが作業をしています。
下校中、子供たちはそれを見つけると、そばに寄って行って暖を取ろうとするのが常でした。
それは街に突然出現した焚き火のようでした。
焼き芋売りのリヤカーの周りは暖かかったのです。
半ズボン姿の男の子なんかは、脚が赤くなるまでそのリヤカーの胴体に体を近づけて暖をとったりしています。
オヤジさんもそんな子供たちの考えはよく知っていて、
「ほらほら、商売を邪魔しない。シッシっ」なんて追い払おうとします。
「行った行ったっ!子供は風の子、元気な子!」 なんて言う(笑)
オヤジさんに邪険にされながらも、子供たちはリヤカーの周りに付きまとって温まろうとします。
そんなところに女子なんかが通りかかると、なぜかたいてい彼女たちは男子たちを尻目に小さなお財布を出して焼き芋を買っていたりします。

男の子は「俺たちにもオゴレよ」なんてからかって、そんなふざけあいをしていると、お芋屋さんが男の子にはタダで小さな芋をくれたりしました。
女子が買って少しは売れたことだし、子供たちの人払いをしたかったんでしょう。
昭和の秋の夕暮れ、懐かしい光景が目に浮かびます。
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