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保健の先生


 誰しも保健の先生には憧れたなどといいますが、羨ましいことです。

 美人の保健の先生とか、私にはその経験がありません。



 小学校の保健の先生というのは、たいそうなお婆さんで、よく喋る面白い人でした。

 今とは違って、保健室に入り浸るような生徒などいませんでしたから、私も保健室なんて予防注射とかそんなことで入ったぐらいでした。

 予防注射は集団で講堂に集められてするのですが、その準備にいいつけられて保健室に行ったことぐらいでした。



 それでこの保健の先生とはどうして接点があったかというと、代理の授業でした。


 保健体育という枠は時間割にあって、ほとんどは体育、運動なのですが、その体育の授業が不定期に保健に変わるときがありました。

 

 当時は日教組が幅をきかせていて、担任がそういう集会か何かで先生が授業を休んでしまいます。

 そうすると保健体育の保健ということで、このお婆さんの保健の先生が授業をしに来てくれるのでした。


 これがみんなにとっては楽しみでした。

 いつも面白い話をしてくれ、必ず笑い転げるような授業になるのですから。


 日教組のメンバーの担任が授業をサボります。

 そうするとその保健の先生が臨時で授業をしてくれるのですが、いつも落語のような話でした。

 お話がおかしくておかしくて、みんなで笑ったものでした。



 持ちネタはやはり戦時中のことが多くて、朝鮮人が泥棒を働いているというのでみんなで捕まえて、木に縛りつけ、石を投げつけてやったなんて話はとても印象に残りました。


 空襲のパイロットと目が合ったとか、あたりが火の海で河に飛び込んでも暑かったとか、そんな話もありました。

 ですが、「戦争は悲惨」なんて、そんな教条的な話は先生は一度もされませんでした。

 悲惨で怖い話をであっても、そこにはどこかコミカルな雰囲気があり、生きていることの素晴らしさを感じさせるものだったのです。



 当時の私の子供時代でも、今とは違って朝鮮人や在日もひっそりと暮らしていて、周囲に誰が朝鮮人かというのはあまり認識できませんでした。

 それでも、先生は在日という話について忌憚なくしてくれ、信用ならない連中であるとエピソードをいくつも教えてくれたものです。

 私たちは多いに面白がりながらも、そんな日本人でない連中と付き合わねばならないということに、問題意識を持ったものです。

 




「アイゴー、アイゴーってね、助けてくれって言うのよ。それをみんなして縛り上げて・・・」

 なんて(笑)。

 今思えばたいした話です。



 空襲があった話、焼けただれた被災者を担いだ話、そして朝鮮人の傍若無人ぶり。

 社会の秩序というのを漠然と考えさせるようなお話でした。



 今のように、コロナ騒ぎなんかでも、色んな連中がまるで暴れまわるようにしてネットで無責任なことを言っています。

 他人への配慮もなく、勝手気ままな連中もいます。
 そういうことでまともな秩序が保たれるでしょうか。



 保健の先生の話は、非常時の戦時中でありながら、まるで混沌としたところがありませんでした。

 先生の話から窺えた昔の日本は、どこかしっかりとしていて落ち着いていて、整然とした日本を感じさせたものでした。



 保健の先生は日教組に入ってなかったからなのか、保健の先生のお婆さんは、抵抗なく真実を語っておられたのだと思います。

 天皇の話はほとんどしなかった。


 当時はベトナム戦争が続いていましたから、それで戦争の話が多かったのか。

 今思い出してもそれは貴重なお話でした。



 その強烈な表情やコミカルな身振り手振りで、当時は子供たちは笑いに誤魔化されてしまったものですが、思い出せばそのどれもが正論で、子供にはしっかりと戦争というものを伝えていたのだと思います。


 「戦争が悪い」なんて、先生は一度もいいませんでした。

 大変なこともあった。それでも生きた。

 それだけです。

 今の「平和教育」とは名ばかりの、洗脳のようなことはひとつもありませんでした。

 淡々と事実、思い出を話しておられました。



 戦いから逃げずに生きていくことが大事だと、深く胸に刻んだのは、先生のお話のおかげもあったかもしれません。

 みんなは妖怪のような婆あ、保健の先生wwwなんて言ってましたが、実はみんなとても慕っていたものです。



 後になって、改めて先生の話したことの正しさがわかり、私は密かに感謝したものです。


 もうとっくに、この世にはいらっしゃらないのだと思いますけれども、先生には今でも感謝しています。


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