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そろばん


 学校でそろばんの授業というのがあって、買わされました。


 授業では「願いましては」なんていちいち唱えて、こうして計算するのだと教えられた。

 そして「便利なものを昔の人は考え付いたものだ」、そんな授業でした。

 日時計や時計を教えられたこともありましたから、似たような意味の教育だったのでしょう。

 確か九々をちゃんと覚えるより前にそろばんの授業があったはずです。

 そして簡単な計算をしました。


 みな子供たちはその不思議なものを相手に、どういうメカニズムで計算が可能なのか理解しようとしていました。

 そろばんを弾く時の約束事や決め事というのがあり、それがどうして計算になるのか、みんな飲み込めない子供がほとんど。

 よくわかりませんでした。

 そして、落ち着きのない子供たちはついてにはテレビで見たように楽器にしてしまったり、上に乗ってスケートにしてしまったり、ハチャメチャでした。

 でもあれでそろばんが壊れてバラバラになってしまった覚えがありません。


 「そろばんを覚えると頭がよくなる」という説があったらしく、一部の子供の中には「そろばん教室」というのに通っていた子供もいました。

 そういう子が算数ができる子とは限りませんでしたが(笑)。



 私は授業が始まって買ったとたんに転校してしまい、ろくに覚える機会はありませんでした。

 転校先ではそろばんの授業がなかったのです。

 だから、そろばんをろくろく学ぶことはなく、無駄になってしまいました。


 学校によってそろばんの授業があるのとないのは、考え方があったのだと思います。

 「そろばん教室」に通っている子とそうでない子との差が違いすぎてしまいますし、結局は計算ができるかどうかとはあまり関係がない道具です。

 ですから、授業に取り入れないという判断もあったのだと思います。


 私は、そろばんはそういう機械的にやるもの、視覚的なものだというのはなんとなく分かりました。

 しかし、それならなぜそういう計算になるのか、どうしても数学というものの中身を知りたくなってしまい、そろばんを受け容れることができませんでした。


 そろばんというのは考え込んでしまうと、理解できないものなのだと思っています。


 実は私はこの歳になってもそろばんは使えないままです。

 計算尺というのも世の中にはありますが、それも知る機会はありませんでした。

 もちろん計算尺も使えません。




 そろばんは英語ではアバカスです。


 世界中の文化に似たようなものがあると聞いたことがあります。

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縄跳び


 縄跳びには二つの種類があります。

 ひとつはみんなで跳ぶ大きな縄跳び。

 二人が長いロープを持って大きな輪を描いて回す。

 その中に子供たちが次々に入っては跳んで出て行く、誰がひっかかって止めてしまうか、なんて遊びでした。




 もうひとつは健康増進みたいな感じ。

 よい運動になるからやるようにと指導された縄跳びです。

 縄跳びなんて簡単のように思っていましたが、二重跳びがなかなかできなかった。


 ひとつ跳ぶ間に輪を二回す跳び方です。

 輪を回して引っかからずに跳ぶ。跳んでいる間に輪を二回回します。
 
 三重跳びというのもありました。まるでできませんでした。



 後になってこれには種仕掛けがあることがわかりました。


 縄の先、輪の先だけ少し重くしておけばよいのです。

 そうすれば縄が早く、気持ちよく回ってくれます。


 この種明かしを誰も教えてくれませんでした。

 普通のロープを回して跳ぼうとする。

 そうするとどうしても引っかかってしまいます。


 あれは後になって知って騙されたと思ったものです(笑)。

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