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跳び箱


 小学生になって最初に体育館で跳び箱を見たとき、なぜかそれに違和感がなかった。

 それまで見ていたわけでも知っていたわけでもないのに、なぜか不思議なものに思わなかったことをはっきりと思い出す。


 それがきっと「学校」というものなんだろうと、勝手に納得したことなのだろう。



 跳び箱は、やってみると、案外と上手に飛べたものだった。

 馬跳びとかやるようになったのはその後のこと。

 普通に飛べたことが面白くなった連中が体育の時間でないのにやりたがった。


 跳び箱の飛び方、それをクチで教えられたら普通にできたのだ。



 ところが、どうしてもなかなかこの跳び箱がうまくできない子というのがいて、いつもなぜかまごまごと固まって遠慮がちに引っ込んでいた。

 それはきっと、何か別の価値感があって、跳ぶのを邪魔しているような気がしたものだ。


 言葉では理解できない、どうしても受け付けない何かの価値観ゆえに跳べない。

 そんなある種の障壁を感じたものだ。



 そのことが気になったものだから、自分が何段飛べるようになるかなんてあまり興味は起きず、むしろいつまでも少しも飛べない子のことを考えていた。


 今も思う。
 あれはいったいなんだったんだろうか、と。



 ひょっとしたら、あの時、跳べなかった子たちというのは、実は異星人で、そして妙に跳び箱を怖がっていたとか?



 一時的に異性人が乗り移っていて、それで跳べなかったとか。



 それは冗談としても、それほどの断絶を感じたのは事実だ。

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習字


 小学校の頃には習字の時間というのがあった。

 そこには道具の用意が必ずつきまとった。

 筆、硯、墨汁、半紙、半紙敷き、文鎮、これらをまとめたひとつのケースを買わせられた。

 硯箱なんて呼び方がされていたものだ。

 それから書いたものを丸めて持ち帰るためのプラスチックの筒なんてものもあった。


 昭和の子供たちは忙しかった。

 やたらと時間割に応じて用意させられるものが多かった。


 気を利かして教室に置きっぱなしにしておくことは許されず、毎回自宅から持参するよう指導を受けた。

 毎回、授業があるたびにわざわざ学校へと運んだのだ。


 そういうことが効率的なパッキングに結びついたかと言うと、そうでもなかった(笑)。


 ただ、なんだか悪徳ツアーに騙されて無理やり指定の土産物店に連れて行かれ買い物をさせられる、そんな印象しかなかった。



 習字だ習字セットだ、体育なら体操着だ、国語なら辞書だ。


 なんだかんだと、色々と持たされ、買わせられ、用意させられ、動かされたものだ。

 そうした授業に関して使うものは必ずといっていいほど学校指定のものを買わせられたものだ。


 あの当時、そういう学校指定のものというのがやたらと多かった。

 先輩のお下がりや誰からのいただきものを使っていた子もいなかった。



 それで汚職、贈収賄というものが報道されたという記憶はまるでないから、ほとんどの教師らがああした学校指定の絡みで何らかのリベートやキックバックを得ていたのだということが分かる。

 今なら事件でしかないだろう。


 学校というもの理不尽な側面、信用のならない部分でもあった。



 子供たちは、当時、田中角栄だの何だのと騒がれていたのはとうに承知していたし、こういう学校指定というものに胡散臭いものがあることもちゃんとそれと結び付けて分かっていた。


 教師たちだけは気がつかれていないと思っていたに違いがない。


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